B-02, 03 アーノルドとメニ, 仕事ゼロ

1985年12月C日

アーノルドとメニ

アーノルド, メニ

 赤い砂漠の町に着いた。バス停まで迎えに来てくれたマネージャーのアーノルドは、オランダから約30年前に移住してきた50代半ばの紳士であった。

 その妻メニもオランダ人。二人ともアムステルダム出身で、長男の誕生後この国へ渡ってきたという。二人の子供は独立してパースにいるとのこと。

 アーノルドは背丈186センチ体重110キロの大男で、メニもオレより背が高く、体重もオレよりかちょっと少ない程度である。パースで会ったジョーもオランダ系ででっかいやつだったが、オランダというのはみんなこんなに大きいのばっかりの国なんだろうか。

 住む予定になっていたキャラバン(大きなキャンピングカー)の先住人がまだ次の移り先を決めていないとかで、オレはしばらく彼らの3LDKの家の一室に住まわせてもらうことになった。

 メニはかなり几帳面な性格らしく、他のオーストラリア人の家庭と比べると、家の中がとてもきれいに片付けられている。床にはゴミはおろか、足を運ぶのに邪魔になるようなものは何ひとつ置かれていないし、台所、リビングルームもいつも判で押したようにきちんとしている。はっきり言って、オレにはちょっと窮屈過ぎる感じがしないでもないが。

1985年12月D日

仕事ゼロ

ローボーン, カラーサ, ダンピア ローボーン, カラーサ, ダンピア, ポートウォルコット

 このカラーサのあるローボーン地区の開発の歴史は、まず製塩のための塩田が作られ、その塩を搬出する港町ダンピアが作られたことに始まる。

 そして内陸の鉄鉱石鉱山が開発され、この港から鉄鉱石を運び出すに及んでダンピアの市街地が手狭になり、もう一つ居住用の町を作ろうということでダンピアがら南へ約25キロ離れたところに人口的に作られた町がカラーサである。

 そして、カラーサから東に約60キロ離れたポートウォルコットという町にもう一つ鉄鉱石搬出港ができて、現在のローボーン地区は隣りのポートヘッドランド地区とともに、オーストラリアが誇る全世界でも有数の鉄鉱石搬出拠点となっている。

 わがカラーサ支店はダンピア港とポートウォルコット港を縄張りとし、ポートヘッドランド支店はポートヘッドランド港のみを縄張りとしている。

 われわれの仕事は、といっても、現在のところまったく何にもなし、というより、何かやりたくても何もできない。なぜなら船からの注文がないとわれわれは身を動かすことがないからだ。

 このローボーン地区にはわれわれの会社POAと、シーレーンという会社の二つの船食会社があるが、現在のところシーレーンが全部の船の95%以上を占め、わがPOAは韓国船のいくつかにひと月に2、3回細々と供給しているに過ぎない。

 韓国船はこのところ入港する予定はないし、日本船も入ってはくるが、それらはすべてシーレーンがすでに注文を取り終えた船ばかりである。ここで仕事を始めて以来、やることといえばただ倉庫の中の商品を整理するだけ。退屈で空しく、一日の最高気温38~40度くらいの暑い日が続いている。

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