1986年2月A日
孤立したハエの町

このところ韓国船、フランス船などから続いて注文のテレックスが入ってきた。ありがたいことだ。
このダンピアとポートウォルコットに入ってくる船は国別にいうと、約5割が日本船で、韓国・台湾・中国の船が1割ずつ、残りはオーストラリア、ヨーロッパ、フィリピンからの船という感じである。
われわれが倉庫に置く商品はロードトレインと呼ばれる2両あるいは3両つなぎの超特大トレーラーによって、週に2回、2日ないし3日がかりでパースからで運ばれてくる。全行程1,600 キロ。途中の町に少しずつ立ち寄りながらの行軍のため、鉄道のない当地ではやむをえないことである。
韓国船は明後日にやってくるが、その船からテレックスで送られてきた注文の何割かは在庫になく、明日やってくる予定のトレーラーが本社からの荷物をすべて載せてきたとしてもまだ足りず、それらはこの町のどこかから調達してこなければならない。
それでも注文通りの量が集まるがどうかは定かではない。なにせこのカラーサの人口が9千人、ダンピアが2千人、ポートウォルコットに2千人というこのローボーン地区の人口の分布具合では、店の数も商品の数もたかだかしれたものでしかない。
はたして明日の韓国船の注文に全部応じきることができるかどうか、非常に悲観的にならざるをえない。日本では考えられないような話だが、すぐさま何か欲しいものがあっても、1週間待たないとそれが手に入らないというのは、言葉に言い表わせないほど非常にもどかしいものである。
パースからカラーサの間には、町と呼んで差し支えない町はパース寄りの最初の200キロぐらいの範囲にあるだけで、あとはジェラルトンとカーナーボンという、カラーサよりかほんの少しだけ大きいぐらいの人口を持つ二つの町しかなく、あとは原野ただ原野、砂漠ただ砂漠である。
オーストラリア人がこのピルバラをこの世の果てだとよく言うが、まさにその通り。シドニーやメルボルンがこの国の文明の象徴なら、ここピルバラはまさにこの国の未開拓性の象徴だといえる。
こんなところへ来るニッポンジンもいるんだなあ、と自分で自分に感心する。北口さんは隣りの(といっても250キロ先だが)ポートヘッドランドに10年住んだというが、とても信じられない思いがする。ナントカは荒野をめざすとかいうが、こんなその言葉ビッタシそのままの地に実際に我が身を置くと、その言葉なんてまったくただのロマンチックなたわごとにしか響かない。
そしてこんな地の果てにいると、望郷の思い、過去に対する思い、自己との対話がごく自然と胸に去来するものなのであろうが、この本当の地の果ての町は、オレがそんな感傷にゆったりと浸るのをそうは易々と許してはくれない。
この地がそれを許すのは、ただいつも家の中あるいは車の中といった、囲いの中のみでしかない。というのも、どこかのテレビ青春映画のように、大地にすくっと立って、沈みゆく真っ赤な太陽を遠くに見やりながら、目を細めて思いに浸るということなどでも万が一しようものなら、このオーストラリアの小さな巨人たち、あのハエさんたちが、目といわず、鼻といわず、口の中といわず、耳といわず、顔じゅう、身体じゅう、水分をわずかでも摂取できるオレたち人間の身体のすべての部分に、脇目もふらず一斉に襲いかかって来るためである。
実際、ここピルバラでのハエの数たるや、まったくハンパではない。例えば、家を出て10歩進むと、必ずこの巨人たちのうち2匹はブーンと目の中へと飛び込んでくる。もし5分も通りを歩こうものなら(オレ自身はそんなとんでもないことはしたことがないが)、まさにこちら人間様が文字通りの飛んで火に入る夏の虫.。マチガイなくやつらのまたとない最高の御馳走となる。
ここピルバラの夏、通りを歩く時、われわれは絶対に目を開けることを許されず、耳はただブーンブーンというやつらの羽根の擦り合う音だけを聞くだけ。そして鼻から強い息を吹き出し、両手で顔の前をパタパタと扇子のように振るのを怠ると、やつらは人ひとりの顔など見る見るうちに簡単に埋め尽くしてしまう。早い話が、ここピルバラはアリ地獄ならぬ、ハエ地獄の地なのだ。
いまのところ連日の最高気温は39度ぐらいだろうか。この町に来て以来、日ごと暑さは増してきているが、いったいこのままどこまで暑くなっていくんだろう。このカラーサに地球上のすべての熱が集合してしまうのではないか、などと本気で心配し始めるこの頃である。
そして、その暑さに伴って増え続けるハエたち。ああ、もうここは近いうちに、本当に人間の住めるところではなくなっていきそうだ。
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