1986年2月E日
アヤコさんの手紙に打ちのめされ

キャンベラへ行ったアヤコさんからの手紙が届いた。
ああ・・・、なんということになってしまったんだろう。心配していたことがこんなにも見事に的中してしまうなんて・・・・。
いったい、こんなことが許されていいのだろうか。爆弾で戦友を吹き飛ばされた兵士のように、オレの心に激しい怒りと反省が、胸の中に絶望的に押し寄せてきた。
[彼女の手紙](要約)
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ケンさん、お元気ですか。
1週間前、キャンベラへの15日間の旅行から帰ってきました。とても楽しく素晴らしい日々を送らせていただきました、というご報告をケンさんにするつもりでした。だけど、だけど、わたしにとってあの15日間は忘れようにも、一生忘れられないただ辛い思い出になってしまいました・・・。
ケンさんが見送ってくれた日から三日三晩走ったあと、朝キャンベラに着き、その日の午後からさっそく試合ということになったのですが、レッドスターのチームメートの女の子たちは、その三日三晩の間ほとんど一睡もせずに騒ぎ続けたため、試合が始まっても疲れてヤル気がしないと、ボールは蹴っとばすやら、大声で笑いながらプレーをするやら・・・、もう試合も何もあったものではありませんでした。そのくせ夜には着飾ってディスコへ、レストランへといそいそと出かけていくという始末。
最初は若いんだから、とできるだけ気にとめないように努めました。だけど、とうとう我慢ができなくなり、4日目の夜ミーティングの席で、わたしはトニー始めみんなの前で、みんなもう少しきちんとプレーするようにと、お願いしたんです。
ところが、それが彼女たちには気にくわなかったのか、それ以後わたしと彼女たちとの関係はもうまったく悲惨なものとなりました。ある者は、あなたはタダでここまで来てるんだから食事なんか残り物ですませなさいとか、夜になるとある者は身体をマッサージしろとか、またある者は、あなたはブラウンなんだからシャワーは一番最後に入りなさいとか・・・・・。
帰りのバスの中では、わたしは腰を下ろすシートもなく、寝袋も誰かに取り去られ、再び三日三晩のバス行軍でパースに帰った時、わたしは40度の熱にうなされていました・・・。
そんな事情から、西オーストラリア州の選抜チームに入ってくれ、との協会からの要請もお断りすることになりました。どうも、せっかくわたしを紹介して下さったのに、ほんとうにごめんなさい。
わたしはいま、図書館に通ったり、テニスをしたり、毎日ゆったりとした生活をしています。それがわたしにとって一番いいような気がして・・・・・。
パースにいらした折りには、ほんとうにお世話になりました。そちらの方も暑さでたいへんでしょうが、どうぞお体に気をつけて下さい。またお会いできることを楽しみにしています。
ではお元気で。
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ああ、こんなことになるなら、彼女をあのチームに紹介するべきではなかったんだ、という悔恨が、ゴーゴーという音をたてて身体じゅうを駆け巡る。
心配していたことが、こんなにもひどいかたちで現実のものになってしまうとは・・・・・。目も頭もかすんで、心は熱く沸騰しながら地底の底までずぶずぶと沈下していくようだ。
このやり場のない憤りはいったいどこへ向けたらいいのか。
あああ、なんということだ。
パースに入国した直後、きらめくような好印象をオレに与えたこの国だったが、時を経て滞在10ヶ月を終えて、幸か不幸かその印象はだんだんと色褪せてきていた。
そしてこの日以来、オレのオーストラリア人に対する思いは、轟音をたてて山をすべり落ちる土石流のごとく、大きく落ちていくことになる。
1986年02月F日
アーノルドの過去その2

仕事が忙しくない時は事務所でアーノルドと二人であれこれととりとめもなく話をするのが常である。
彼の故郷アムステルダムの話、オレの家族の話、彼がオーストラリアに来た当時の話、オレの将来の話など、しょっちゅう言い争いになるが、彼の話はなかなか含蓄があって、興味深く教えられることが多い。
彼がパースでコンテナ会社の支店長をしていた頃は、週800ドルの給料と、会社から車を支給されていたという。オーストラリアの水準でいくと、それはおそらくこの国の社会にあって、上位10%ぐらいのレベルに入っていてもおかしくはない。
だが、今の彼の待遇は、推測で約400ドルの週給と家とを支給されているだけ(このカラーサで働く人間のほとんどは会社から家を支給されている)。彼にとってはあのころがこれまでの人生の花と思っているらしく、やはりその当時の思い出話をすることが多い。
オレはもう二度とあの時のオレの輝きは取り戻せない、などと彼はガラにもなく弱気なことをいったりするが、そのくせオレには、ケン、おまえも悩んでばかりいないで、もっと自分に自信を持って事にあたることが必要だ、などと言ってきたりする。
意見を異にして、ケンカもどきの言い合いになることも最低一日に一回はあるが、二人ともなんとか暖かいムードでやっている。
オレの父親とほぼ同い年だが、このオッサンはいい人だと思う。
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