B-24, 25 どうするビザの延長, いざ移民局へ

1986年2月G日

どうするビザの延長

パスポート, 移民局, ビザ, 延長

 明日、パースへビザの延長の申請に行くことになった。ジェフが推薦状を書いてくれることになって、それを移民局へと携えていくわけだが、はたしてどうなることやら。

 思えば、西オーストラリア州の移民局とは、初めての申請以来これまでにもさんざん色々とやり合ってきたからだ。

 ワーキングホリデイビザをもってオーストラリアへ入国した者は、まず空港で移民局の係官から6ヶ月の滞在許可を示すスタンプをもらう。それ以上の滞在を望む者は、6ヶ月の期限が切れるまでに移民局の事務所へ自分から出向いて、申請書とパスポートと帰りの飛行機の切符(またはそれ相当の持ち金)と所持金の証明を提出しなければならない。

 申請書には、入国日時、入国以来の滞在地、これからの旅行予定、これまでの就業状況、現在の仕事の有無、有るならばその就業先の名称(ワーキングホリデイ制度で就業する者は、同じ就業先で3ヶ月以上仕事をしてはいけないという規定になっている。あまりこの点については厳しくはないようだが、一応注意を払う必要がある)などを記入する。

 西オーストラリア州はシドニーあたりと違って、延長は比較的容易だという噂もあり、オレは何の問題もなしと思い込んで、あたかもパンを買いに行くかのような軽い気持ちで、滞在5ヶ月半過ぎに初めての申請に窓口へ行ってみた。だが、これがとんだ思い違いだったことが判明した。

 面接に出てきた女性係官は(通常、男性申請者には女性係官が、女性申請者には男性係官が応対するようだ)、オレはパース空港に入国以来、パースを一回も離れていないことを指摘した。彼女はこのワーキングホリデイ制度の主旨は、あくまで「仕事をしながら」オーストラリア各地を「見て回る」ことにあるという。

 そしてオレはこの町でこの6ヶ月すべてを過ごしたため、今回の延長は3ヶ月分しかできない、1年いるつもりなら、最後の3ヶ月の滞在許可はどこか他の州にある移民局からもらうようにしてもらいたいということであった。

 オレは3ヶ月ではバレーのスーパーリーグの最終試合までここにいられなくなると言うと彼女は、あなたがこの国に来た目的はバレーボールをすることではないはずです、とバッサリ。あとはオレが何を言おうが聞いてもらえず、その日は「よく考えてみてくれ」とパスポートをネジ込んで帰ってきたが、結局1ヶ月後に3ヶ月だけの滞在期間を許すスタンプを押されたパスポートが郵送で送られてきた。

 そして3ヶ月後、延長された滞在期間がスーパーリーグの準決勝の日の4日前で切れるということになった。隣りの南オーストラリア州のアデレードまで行って延長してトンボ返りで舞い戻ってくるか、とも考えたが、アデレードまでは片道2700キロ、バスで36時間の道のりである。向こうへ行くこと自体ちょっとばかり興味がないでもないが、旅費その他の経費は全部で最低350ドルは必要だ。それにヘタをすれば1週間ほどの時間を取られてしまうことにもなりかねない。

 どうしようかと迷ってリックに相談したところ、バレーボール協会の代表に移民局あてに手紙を書いてもらうよう頼んでやるよ、とのこと。そして、その多少オレのことを誇張気味に記述した(オレがこの州の子供たちにバレーを教えていて、オレがいなくなると子供たちが悲しむ、云々。まったく事実にないことも含めた)手紙を添えて申請し直し、またまた激しいやり合いの末やっとのことで残り3ヶ月の延長のスタンプをもらうということで一件落着したのであった。

 パース在住当時は、あのセントジョージステラスにある移民局の建物の前を通るだけで、気分がムカムカしてきたことを思いだす。そして今、ほぼ不可能といわれている1年以上の滞在申請をしに行くわけだが、はたしていったいどうなることやら。ピストルを胸に突き付けられ、首根っこをつままれて飛行機に放り込まれるなんてことになりませんように。

 この国に来て11ヶ月が過ぎたが、オレとしてはいまだにいまひとつどころか、ふたつみっつ充足感がどうしても得られない。今このままこの国を去ることは、取り返しようのない大きな禍根を後に末長く残すことになるような気がどうしてもする。

 帰って新しい職や生き方を見つけて、社会人としての遅れを一日も早く取り戻さねば、という時間に対する焦りはある(それはこの1年の間、常に心の端にくすぶり続けてきたものだったが)。

 また、もちろんオーストラリアから日本へと帰る1年オープンの飛行機のチケット(往復チケットで、1年以内にその往路・復路のフライトを使用せねば無効となる)は依然手元にあって、実際オレは帰ろうと思えばいつでも帰れる。

 その大枚28万円をはたいて手に入れたチケットの有効期限はあと1ヶ月を切り、これを使わないということはその残りの半分の価値をドブに捨ててしまうことになる。

 しかし、ここで帰国してしまえば、前の会社の部長の言われた通り、あとになって必ずやり残しに気がつくはずだ。そしてそれに伴って、必ず沸き上がってくるであろう後悔はあまりにも大きなものとなるはずだ。

 それらに対する恐怖に比べれば、その程度の時間やカネなど惜しむに足らない、というのがここでオレの下した判断だった。家族の落胆する顔がはっきりと目に浮かぶが、今のオレにはすべてのことを丸く収める力などありはしない。無理をしてどこかへ寄ることになるシワの一つや二つは、ここは敢えて覚悟せねばならない。

1986年2月H日

いざ移民局へ

移民局, 係官, 女性

  フリーマントルにあるPOAの本社まで行って、ジェフから手紙を受け取り(事務所で6時間も待たされたが)、移民局へ行って来たが、なんとまたあの一番最初に申請した時と同じ女性係官が出てきた。

 のっけから絶望に陥りかけた心にハッパをかけ、あれやこれや、これやあれや約30分の押し問答の末、上の者とよく検討してみてくれと言い残し、結局、オレはそれこそ無理矢理、力づくでパスポートをネジ込んで帰ってきた。

 ここまで来ればもうどうにでもなれ、マナ板のコイの心境だ。ダメでもともと、それはそれで仕方がない。ダメになった時点で身の振り方をもう一度考えるしかない。

 だが、依然として自分が日本へ帰っていく姿だけはまったく想像もつかないが・・・。

<前のページ><次のページ>
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする