B-46, 47 満足な日々, 三日連続の空振りと朝焼け

1986年5月A日

満足な日々

満足, 男, 英語

 滞豪期間も1年が過ぎて英語の会話能力は上達したという実感がある。テレビのニュースや娯楽番組に対しても、この国の内情についての知識が増すとともにその理解度を増してきたようだ。

 なんせ今のオレの楽しみといえば、帰ってビールを飲みながらテレビを見るだけ。神経を集中してテレビにかじり付いていると、この地の果てに身を置いていても、なんとなくこの国の様子がわかってくるようになった。

 思えばここまで長い道のりだった。大学の4年間、必修の英語の試験前だけしか英語など勉強した記憶はない。サラリーマン生活をはじめて半年ぐらいからNHKのラジオの英会話の教科書を買い始めたが、ほとんどやらず。

 その1年後から友人の英会話学習テープを無料で譲り受け、ブツブツと一人で教科書に向かってしゃべり始め、しばらくして英会話クラブのようなところで初めて実際にネイティブスピーカー相手に会話の実戦練習をやった。あくまで仕事の合間をぬってやったため、ダラダラやっていた程度だったが。

 オーストラリアへ出発する約1年前、2週間のアメリカ旅行は英会話の腕試しの意味を含めてクビ覚悟で行った。シカゴのタクシーの運転手の超ウルトラ早口おしゃべりや、ニューヨークのパブでバーボン(Bourbon:トウモロコシからできたアメリカのウイスキー)を注文してもまったくわかってもらえず、発音の簡単なジョニー・ウォーカーに変更せざるをえなかったことなど、ガク然とさせられたこともいっぱいあった。

 だが、その半面サンフランシスコでホモ達にさせられる一歩手前まで親密になった人にサンフランシスコ中を車で案内してもらったことや、カナダから来た姉妹と夜更けまでニューヨークのグリニッジビレッジを飲み歩いたことなど、あの短い旅は英語圏での生活なんか全然どうってことあれへんわい、と確信させてくれた貴重なものだったといえる。

 アメリカから帰った当時、オーストラリアへ行くことなど夢にも考えなかったし、実際、当時のオレはオーストラリアなど牛と羊とカンガルーの国ぐらいの知識しか持ち合わせていなかった。

 その後、大学の同期からこの国の話を聞いたり、その他人に言えないような諸々の経緯を経て、約1年前この国へ舞い降り、いまこの地の果てカラーサにいるわけだが、運命とはいえよくもまあこんな巡り合わせになったものだと思う。

 大学の同期の十人はほぼ全員が一部上場大企業でのサラリーマン生活を卒業以来変わることなく送っている。やつらのうち8人が結婚し、そのうち5人がすでに子持ちである。対してオレは赤い砂漠でキャラバンの窓に当たる風の音を聞きながら、天涯孤独の一人暮らし。

 あの時、もう一言付け加えることができたなら、いまごろ子供のおしめを慣れない手つきで取り替えているかもしれない。あの時もう少し幅広い角度から就職というものを考える成熟度が身についていれば、いまごろこの国に駐在員として住んでいたのかもしれない。

 いまのオレには地位もカネも将来も恋愛も何もない。しかし、いまのオレにはマネージャーから完璧に尊重されている仕事上の裁量、未知の世界を切り開いているという自負心、そして何よりも日々オレは前進しているんだ、という揺るぎない実感がある。

 もし日本にあのままいたと仮定した時の自分といまの自分とどちらがオレにとってより大きな成長をもたらしてくれただろうか。その答えは神のみぞ知る。

 過去に対する反省も後悔もいっぱいある。しかしオレはいまの自分に100%満足だ。

1986年5月B日

三日連続の空振りと朝焼け

朝焼け, 海

 まいったなぁ。もうこれで三日連続の取り越し苦労だ。ここ数日、風が強く、ポートウォルコットの沖で停泊している山下新日本汽船の船が着岸できないでいる。

 午前2時に目覚まし時計を鳴らし、ゴゾゴゾと起きだして事務所へ入り、フォアマン(岸壁管理人)に電話でその船が今朝入港してくるかどうかを確認する。

 彼はあと1時間で入港の予定だとオレに告げ、オレは着替えをして、鳥も花もまだまだ起き出してこない丑三つ時、砂漠を突っ切ってあの恐怖の岸壁へと愛車ハイエースを飛ばす。途中ヘッドライトめがけて草の中から飛び出してくるカンガルーを間一髪でよけながら、フォアマン室へと駆け込む。

 船は?
と訊くと、
「風がきつくて、たった今、今日の接岸作業は、取り止めになったよ。」
と、フォアマン。
「なんでだ?」
と尋ねると、
「オレは知らないさ。」
と、ニベもない返事。

 このクソッタレ!と口の中で吠えてみても誰もなんともできない。しばし沖を見つめて、白み始めた東の空を横目に家路をたどる。

 こんなことが三日連続で起きると、もうただ遠吠えするしかない。この船食業の宿命とはいえ、夜中に飛び起きて片道約1時間の道のりを急いだあと、船が入ってこず、何の仕事もせずに帰るというのは、まさに写真に映った映画スターに愛の言葉をとうとうと詠み上げるがごとく、まったく空しいの一語に尽きる。

 沖に泊まっているあの船は前航でわがPOAに注文を出して下さり、オレたちはそれをなんとか無難にこなした。今航の注文も前航に約束してもらっている。

 オレたちはテレックスあるいは電報を使って、できるだけ早く注文を連絡してきてくれと、各船にお願いをしている。だが、その通信費を会社が許さないとかいう理由でそれをしてくれない船もあり、そんな時オレたちは入港までその船がどんな内容の注文をしてくるか、まったくわからず何の用意もできない。

 最近、どんな注文を受けてもモノを欠くということはほとんどないが、それでも野菜などを他のカラーサの町中の店から買い入れた時、鮮度のそれほどよくないものを持っていかざるをえない場合もどうしてもでてくる。入港前1週間に注文の内容がわかれば、この手の心配はまったくなくなるのだが。

 今回、沖に待つ船もそんな船の一つで、古い船のためテレックスを持たず、電報を打つのを通信士と船長が嫌っている様子である。

 ああ、明日こそ風がやんでくれますように。もうこれ以上朝焼けは見たくない。

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