1986年10月E日

一つ心残りなのは、仲良くなりかけたヨリコさんのもとを去ることだ。ワーキングホリデー旅行者の中にはそれほどキャリア志向の人は多くないが、彼女は関東の大学で学業を終えてしっかりした職に就いていた2‐3歳年下の才媛だ。
シドニー西部の観光地ブルーマウンテンへ一緒に行ったり、何回か食事を二人でしたりと、この国で出会った日本人のいやすべての女性の中で最も魅かれたのがヨリコさんだった。そして最も信頼できそうなのも彼女だった。
でも神のいたずらか、彼女と知り合ったのはヨーロッパ行きを決めたあと。
彼女はオーストラリアに来てまだ日が浅いものの、すでにシドニーの街中の大手日本企業で半ば正規従業員のようないい職に就いている。その仕事に対する意欲も高く、1年後の日本帰国後も経済学を学び直してさらにキャリアアップを目指すと言っていた。
この時期のオレの思いは彼女ともっと付き合う時間を取りたかったということ。できれば彼女とそのあとの東南アジアやヨーロッパへも一緒に行けたらとかも考えた。
だが、彼女とそこまで親密になれたわけではなく、彼女の未来を自分のために潰すようなことはできない。
また東南アジアやヨーロッパに行ったあと、また彼女とはこのオーストラリアあるいは日本またはどこか他の国とかで会えるだろうと考え、何トンもの力で後ろ髪を引かれる思いはあったものの、オレは当初の予定通り、東南アジアからヨーロッパ行きのプランを進めることにした。
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