1986年11月A日

シドニーでマレーシアの首都クアラルンプール経由ロンドン行きのエアチケットを購入したオレは、クアラルンプールでストップオーバー(途中降機)した。
<メモ>
オレのエアチケットは便利なオープンチケット(Open ticket)。
クアラルンプールでストップオーバーしたあと、次のロンドン行きのフライトは6ヵ月間内なら変更可能。
オレは安全のため約6ヵ月後のフライトを仮予約し、飛ぶ希望日が近づいてきたときに再度予約を取り直しすることにした。
長期旅行者にはありがたいチケットだ。
クアラルンプールにはわずか一泊しただけで、アデレードで知り合ったドイツ人アーニャと交わしたバンコクで会う約束をはたすため、オレはせかされるようにマレーシアを出てタイ行きの人となった。
クアラルンプールから夜行列車で北上しバターワース駅に着き、そこで新たに切符を買って、バンコクへとまた次の列車に乗り込む。
バターワースを午前11時ごろ出たあと、まもなくタイ国境到着。生まれて初めて陸路で国境を越えた。
国境の駅では全員列車から降ろされ、まずホーム内にあるマレーシア移民局のブースで出国スタンプをもらう。そしてすぐ隣りのタイの移民局ブースで入国スタンプをもらう。
ビザなどの問題は何もない。日本パスポート保持者は無条件で2週間のタイ滞在を許される。担当者はアラヨっとばかりあっけないほど簡単にタイ入国のスタンプをくれた。
その日一日中タイの田園地帯、ジャングル、バナナ畑という東南アジアの熱帯雨林地方の風景を車窓から見たあと、午後9時ごろ折り畳み式になっている座席をベッドに作り替えてもらって就寝する。
冷房のない車内はメチャクチャ暑いが、オーストラリアを出て以来まだ3日足らずで、まだ東南アジアへ来たカルチャーショックの抜けきらない身にたまった疲れは、いとも簡単にオレを眠りへと引きずり込んでいった。
回りが騒がしくなって目が覚めた。時刻は午前6時前。2段ベッドの上段から降りると、祖母が日本人だというアメリカのシアトル出身の黒人女性キャンディが、
「ケン、ちょっと外を見てごらんよ。」
とアゴをしゃくった。
そして彼女が差した窓から見える息を飲むような光景がオレを襲った。列車はすでにバンコクの大都市圏の内側に入っていたが、線路の両側は沼地で、水に浮かんでいるかのような家々がドロ沼の中にぽつりぽつりと建てられている。
家と家は渡り板を敷いて繋がれ、その上を子供たちが朝焼けの光の下を走り回っている。なかにはそのドロ沼へ飛び込んで泳いでいる子供もいる。
家々は粗末な板ぶきで、上から覆う周りの熱帯林がなければ、太陽が直接これらの家を焼き焦してしまいそうだ。列車はゆっくりとそんなバンコク南西部の郊外を抜けていく。そして、そんな風景はバンコクの中央駅に着くほんの手前まで続いた。
そんな風景をじっと文字通り息をのみながら見つめていると、オレは本当に今から東南アジア最大といわれる大都市へ行くのか、それとも何かの間違いでアマゾンのジャングルに着いたのかと錯覚を覚えた。
そして、その5秒後オレはとうとうリアルなアジアに着いたんだ、との思いを新たにした。
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