D-19 感動の芸術ストリップ、フレディー・アギラのライブでの日本サラリーマン

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1987年1月F日

ストリップショー、ライブ

 ペナイ島から豪勢にも飛行機でマニラに帰り(時間節約のため。そしてなによりもあの船の旅をもう一度やろうという気がどうしても起きなかったため)、約束通りパトリックと再会。

 また例のごとくエルミタ行きを誘われ、再び「いやいやながら」同伴したが、この夜デルピラストリートの店で見たストリップには思いがけずまったく感動してしまった。

<メモ>
タイそしてフィリピンとやたらストリップショーのネタが多いが、それは筆者が特にその道のマニアであるからではない。フィリピンでは都市部だけでなくどんな小さな村でも必ず1軒以上のバーがあり、そこにはホステスさんが数人いて、そのホステスさんたちが順番にステージに上がって踊りだすというのは定番のスタイルなのだ。つまりバーへ行くこと即ちストリップ鑑賞することとイコールとなり、飲みに行く度にこの手のネタがごく自然と増えていくことになった。

 この店のストリップショーのパフォーマンスは、バンコクのあのQ.C.のような「超人間的」なそれではなく、踊り子たちはただ音楽に合わせて踊るだけ。前座から徐々に人気のある踊り子へと場が盛り上がっていき、オレが感動したのはトリから2番目の髪をショートにまとめた長身の女の子だった。

 彼女はボニー・タイラーの「愛のかげり」という曲に合わせ、その歌詞を十分に理解した上で、自分の体を100%使ってその曲を表現しようと踊った。

 彼女が踊っているあいだパトリックは横に座った女の子とペチャクチャしゃべりづめだったが、オレはショーに見とれて横に座った女の子の存在など完全に忘れ切ってしまっていた。

 3、4分の短い曲だが、ストリップという手法によって、女性の肉体を素材としてあれだけの表現が可能だとはいままで想像できなかったが、中学生のころビートルズの「シーラブズユー」という曲を何回も何回も繰り返して聞いた、あの時のようにオレの心の琴線はうち振るえた。

 この夜の町エルミタにあって、彼女に会えたことは何か嵐の闇夜に光明を見たような思いがする。彼女に乾杯。そして今後の彼女のそしてこの町で働く美しき天使たちの多幸を祈ってやまない。

 その店を出て「アナック(息子よ)」という曲で日本でも有名になったフレディー・アギラのライブを見に行った。マビニストリートのはずれにあるこの店は白人客が多い。

 店のムードは日本の外人バー風で、フィリピン女性と白人男性のカップルも多く見受けられる。客筋はデルピラストリートのバーと比べると格段に良く、ちょっとした大人の社交場の趣である。

 前座のバンドが終わったころ、そんなこの店にひょっこりひとりの日本人客が現われた。そして彼はカウンター席に座っていたオレたちとステージのちょうど中間ぐらいのテーブルに席を取った。

 このいみじき輩のいでたちを上から紹介すると、黒い真っ直な(あたりまえだが)少し長めの7・3に分けた髪、黒ブチのメガネ、買ったばかりの白いTシャツに白いバミューダパンツ、黒の皮靴と白いハイソックス、とまあ超典型的な日本人サラリーマンのホリデールックでキメている。

 そこへもってきて、首からバカデカイ望遠レンズ付きのカメラをぶら下げているとなれば、もうこの輩は体全体を使って、
「みなさーん、オレは日本人なんですよォ!これまで勉強と仕事しかやってこなかった、洗練さなんて言葉は知らない男なんですよォ!」
とでも叫んでいるかのようだ。

 出身地の西ドイツのデユッセルドルフで富士フィルムの流通センターで働いた経験を持つパトリックはオレの顔を見て思わずニヤリ。俺もニヤリ。

 氏は初めてこのマニラに出張したのか、インスタントガールフレンドをエスコートしようという勇気を持たないのか、ひとりぼっちの登場だ。彼のひとつひとつの動作はいかにも自信なさげ。同胞のオレまでもが何かモジモジしてきたくらいであった。

 夜も更けて21時を過ぎたころか。お待ちかねフレディー・アギラが登場した。彼は月に3、4回のこの店でのライブを恒例としているらしいが、ステージ上の彼は祖国フィリピンが抱く喜び、哀愁、希望、はかなさを次々に歌いあげていく。

 民衆がマルコス大統領を追い出し、アキノ大統領を据えるまでの一連の無血革命を支えたといわれる「バヤンコ(わが祖国)」という曲が歌い終えられた時、観客は期せずしてそれまで以上の拍手を惜しみなく送っていた。

 彼の歌声には必要以上のビジネスっぽさがないのがいい。生活するうえで、家でも外でも声を出して歌うのが普通なフィリピンにあって、彼の歌声は実に素朴。稲刈り歌の風情すらうかがわす。

 フレディー・アギラのステージが始まって間もなく、例のサラリーマン氏はウェイターを呼んで何かを注文した。あい変わらず周りを気にしながら、彼はモジモジ、落ち着かない様子である。

 そして・・・、ステージで静かなバラードが歌い終わり、大きな拍手がそれに続いていたころ、突然、ジュワァーという大きな音とともに、ウェイターが例のサラリーマン氏のテーブルにハンバーグまたはジンギスカンのような料理を運んできた。

 この時間に料理を食っている客など他に誰もいない。みんなフレディーのステージが始まるまでに食事を済ませ、飲み物だけをテーブルにのせている。周りの観客は一斉に彼の方を見つめた。

 オレとパトリックも再び顔を見合わせ、当然のごとくまたニヤリを交わした。まだここまでならば、このサラリーマン氏を社交性のないひとりの男だとオレもヘラヘラと笑っていられた。しかし・・・。

 しかし、この氏が運ばれてきた料理を食べ始めた瞬間、オレは日本人を今日限りやめたくなる衝動にかられた。というのも、彼が食事をするマナーは、西洋の規準から見れば、まさに小学生以下のレベル。大人としては許容の範囲をはるかに逸脱していたからだった。

 氏は組んだ両足をステージの方に向けたまま、上半身だけを右に約60度回転させて、約40センチ離れたテーブルの上に頭を覆い被せて食べる。時としてフォークから料理をテーブルに落としながら、下がっていく黒ブチのメガネを押し上げながら・・。

 そして極めつけは、添えられたスパゲッティを食べた時のあの音。氏はズルズルズルズルゥー!とそれを口の中へ放り込み、彼は両くちびるを最大限に使って、ピチャピチャビチャ!という音を四方八方へ店の中いっぱいに飛ばしまくって食べる。それも脇目もふらずに・・・・。

 それをじっと見ていたパトリックがオレの方をまた向いてきたが、オレはもうやつの方に目を向け返すことができず、ただ大きな絶望感をもって目の前の笑えない喜劇のような悲劇を見たいとも思わないものの、ただポカンと見つめていた。

 嗚々、この40歳前後のサラリーマン氏の昼間の働きぶりやいかに。日本の企業ははたして食事のマナーというものを人事考課の中に入れているのであろうか。

 少なくとも海外への出張や駐在にでも出そうという社員は、それを規準のひとつとして選出するべきではないだろうか。ホント、心からオレはそう望む。いや祈る。

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