D)東南アジア– category –
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D-20 日本大使館に届かない小切手とバカのんきな自分
1987年2月A日 マニラに帰ったオレはシドニーのヨリコさんからの小切手が届いたかどうかの確認のため、日本大使館へ行った。前回行ってから2週間ほどたっていたので、もう届いていてもいいころだろうと思っていたのだ。 大使館前は日本行きのビザを取得... -
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D-19 感動の芸術ストリップ、フレディー・アギラのライブでの日本サラリーマン
1987年1月F日 ペナイ島から豪勢にも飛行機でマニラに帰り(時間節約のため。そしてなによりもあの船の旅をもう一度やろうという気がどうしても起きなかったため)、約束通りパトリックと再会。 また例のごとくエルミタ行きを誘われ、再び「いやいやな... -
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D-18 電気のないボラカイ島から狂気の祭りアティアティハンへ
1987年1月E日 ボラカイ島でパトリックとジャックに再会。ボラカイは真っ白な砂浜に椰子の葉が垂れかかる、海外旅行のパンフレットの写真撮影にはもってこいの景観を誇る、地図にも載っていない可愛い小さな島だ。そしておもしろいことに、ここには電気は... -
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D-17 ボラカイ島へ向かう船の喧噪そして日本人男性とフィリピン人女性
1987年1月D日 エキサイティングな町マニラをあとにして、3日前に発ったパトリックとアメリカのロサンゼルス出身のジャックを追って、オレはフィリピン群島のほぼ中心に位置するペナイ島沖の小さな島ボラカイへとマニラ港から船に乗った。 前日に船の... -
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D-16 ど熱いマニラのエルミタの夜 パート2/2
1987年1月C日 歓楽街といっても、ひとつ路地へ入ればエルミタの夜は暗い。デルピラストリートの一本西の小さなストリートは灯かりも少なく、地面に何が落ちているかもわからないほどだ。そんな暗い通りをぶらぶらと約10分歩いたあと、オレは角の小さな... -
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D-15 ど熱いマニラのエルミタの夜 パート1/2
1987年1月B日 フィリピンでは英語が公用語になっているため英語を話す人がきわめて多く、地元の人々と交わすコミュニケーションが楽しい。シングリッシュと呼ばれるシンガポール人の話す英語よりもよりふつうの英語使いが多く、話がしやすい。 また1... -
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D-14 フィリピンへ移動。小切手はマニラの日本大使館にはまだ届かず
1987年1月A日 1987年の正月をシンガポールで過ごした後、シンガポールとマニラの往復エアチケットが安かったので、今回の東南アジアで5番目の国フィリピンへとオレは足を伸ばした。 オーストラリアの銀行の小切手はシンガポールの友人宅からシドニーの... -
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D-13 ヨリコさんが送ってくれた小切手はシンガポールでの受取に失敗
1986年12月F日 シドニーを出る直前にオーストラリア政府からの税金の還付金1,000豪ドルがあることがわかったが、オレはそれを自分で処理して受け取る時間がなく、そのおカネを小切手にする手続をシドニーに住むヨリコさんにお願いしてあった。 <メモ>... -
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D-12 シンガポールの派手なクリスマスイブ
1986年12月E日 クリスマス前から旧暦の正月(英語ではChinese new yearという)までの約2ヵ月間、このシンガポールが世界に誇るショッピングストリート、オーチャードロードはそのきらびやかな装いで、市民と旅行者の目を大いに楽しませる。 ふだんで... -
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D-11 シンガポールの安宿=バックパッカーの安息所&密輸人の隠れ家
1986年12月D日 コタバルの宿の中国人マネージャーがシンガポールの宿ならここへ行けばいいよ、と教えてくれたベンクーレンストリートの宿は、彼の言葉通り非常にリラックスできるところだった。 ここは個室はなく、すべての宿泊客はドミトリー式の部屋...