1985年12月B日

目が覚めたのが朝の8時。
バスは砂漠の中の一本道、国道1号線をただ北の地平線めがけて走る。
カラーサ到着予定は午後4時。あとまだ8時間の行程である。夕べの午後8時にパースを出発して20時間のバスの旅だが、バスが心地良いせいか、周りの景色が興味深いせいか、それほど退屈や疲れを感じない。
北口さんに紹介してもらった船食会社の社長ジェフに1週間前に会うことができた。ポートヘッドランドではすでに若い日本人を雇った、だが、カラーサという隣りの町で日本人が必要なんだが、との彼の話。オレはどこでも同じだと考え、その場でふたつ返事で「行く」と答えた。
ジェフは、カラーサには今のところマネージャーが一人いるだけで、規模もポートヘッドランドと比べるとはるかに小さいものでしかないという。そして、オレに課せられる仕事は、現在カラーサで受注実績ゼロの日本船から注文を取ってくることだという。
オレはその話を聞いたとたん、それまで少しばかり迷っていた気持ちが吹っ切れ、ヤル気がぐっと高揚した。というのも、もともとゼロならむしろ人が以前に築き上げた城を守るよりはるかに建設的、挑戦的かつオレにとっては気楽ですらあるからだ。さあ、いっちょやったるか、というのが赴任地に着くまであと数時間に迫った今の心境だ。
アヤコさんは元気でやってるだろうか。先週末、彼女はキャンベラで開かれている全オーストラリアのクラブチーム大会(選抜メンバーによる州対抗リーグ戦ではなく、任意参加のもの)にレッドスターの一員として参加することになり、みんなと一緒に出発した。
チームは男女ともにニュートンカレッジ在校生で組まれたが、彼女はトニーの計らいで、交通費と宿泊費免除という特典を与えられて、いわば栄誉ある助っ人として参加である。
ニュートンカレッジは、毎年この大会に半ば修学旅行のような感覚で参加しているため、スーパーリーグのような緊張もないことだろうし、アヤコさんも大いに楽しんでくればと思う。レッドスターのスーパーリーグ女子チームはアヤコさんの加入にもかかわらず、不本意な5チーム中の4位に終わったが、そんなことなどすべて忘れて、みんなとただ楽しい旅をしてくればいいはずだ。
彼らはキャンベラまで片道4,000キロにならんとする道のりを、マイクロバス2台を連ねて出ていったが、3泊4日のバスの旅とはかなりきつそうだ。
だが、ここで心配なのは、彼女一人だけがニュートンカレッジの在校生ではなく、年代を同じくせず、オーストラリア人でなく、白人でなく、そして英語でのコミュニケーションにまだ多分に不安があるということである。
今までは兄貴代わり兼通訳代わりのオレがいつも近くにいたが、これから2週間ほどはすべて彼女一人で周りのみんなと生活して、言葉を交わしていかなければならない。みんなと仲良くバレーを楽しんで、帰ってきた時には彼女の英語が飛躍的に上手になっているようだといいのだが。
バスは、いよいよ赤い砂漠の土を両側に従え始めた。行き先はピルバラの町カラーサ。パースに住むオーストラリア人が、Fucking place !(どうしようない場所 !)とののしる町で、さていったいどんなことが起こるのか。期待と不安で胸は複雑な形でふくらんでくる。
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