1986年3月K-2日
ポートヘッドランドへ日帰り砂漠ドライブ 2/3

右へ曲がればサウスヘッドランド(ポートヘッドランドの衛星住宅地域とでもいえる町)という標識が見えてきた。そこをまっすぐに走っていくと、道路の右側に白い小さな山が見えてきた。塩の山だ。その横に広々と延々と真っ白な塩田が続く。ここにも塩の輸出用岸壁があることがわかる。
このあたりから車の往来が多くなり、制限速度も110キロから80キロに下がる。日本の高速道路で80キロで走ると、そこそこのスピード感が味わえるものだが、このピルバラでは80キロというスピードは、ヨタヨタ千鳥足で歩くという感触しかドライバーに与えない。
左手にダンピアやポートウォルコットと同じような巨大な鉄鉱石の処理施設が見えて、車はポートヘッドランドの町へと入った。この町はできてすでに100年になるとかで、家々はすべてモダンな様式であるが、カラーサと比べて少しだけ風格みたいなものを感じさせる。というより、むしろかなり薄汚れた町というべきか。鉄鉱石処理プラントと住居地域が隣り合わせになっていることの影響だろう。
POAの店はスーパーマーケットを併設しているため、迷うことなく一発でその場所が突き止められた。
時計を見ると11時。カラーサを出て2時間半きっかりで着いたことになる。250キロの道のりを平均時速100キロで走ってきたということだ。
事前に連絡しておいた通り、トシさんはきちんと商品を用意して待っていてくれた。トシさんはオレより3ヶ月早くこのPOAで採用になり、昔から日本船相手に大規摸に商売しているこのポートヘッドランドの店へ赴任した日本人である。パースにあるレストランで長く共同経営者としてやってこられたが、何か思うところがあって、この船食業の仕事についたのだそうだ。
彼はパースで知り合ったガールフレンドと二人でここでひっそりと暮らしているという。オレが親しげに色々と話しかけても、あまり興味を示す様子もない。どうもこっちの人間になりきろうとして同胞をできるだけ排除するという、永住を決意した人にたまにあるクセをこの人も持ち合わせているようだ。
オレよりたった一つ年上で出身が東大阪ということで、オレとしては強く親近感を持ったが、向こうがその気なしでは会話も盛り上がりを欠くことになる。オレのライトバンへの積み込みが完了すると、トシさんは昼飯だ、といって、そそくさとガールフレンドの待つ自分のアパートへと帰っていった。いろんな人がいるもんだと思う。
北口さんは?と事務所でタバコをふかしていたボブに訊くと、最近はあまり顔を見せないぜ、という話。家に電話をしてみたが、仕事中で留守であった。
ボブはひょろひょろとした、年格好45、6のあんまりフーサイのあがらないニュージーランド出身のオッサンである。
ニュージーランド人はオーストラリアではビザなしで労働が許されている。驚くべきことに、彼らは失業手当てまでもオーストラリア政府からオーストラリア人と同じように支給される。
このオッサンが北口さんやトシさんに言わせるとなかなかの切れ者であるとのことだが、さてどんなもんやら。よくしゃべる男という印象しかオレには残らなかったが。
ここの事務所、倉庫はスーパーマーケットと併設されていて、倉庫の在庫量もかなり多く、従業員の数も20人弱とカラーサと比べてだいぶん活気がある。そして何よりも、ここで仕事をする彼らがうらやましくて仕方がないのは、店から船の岸壁までの距離がまったくほんの目と鼻の先だということである。
ここポートヘッドランドの港は、天然の良港として非常に恵まれた地形にある。ここの港はダンピアと同じく塩の輸出用として開設されたらしいが、その後鉄鉱石の搬出港として港を拡張するにあたっても、それほど大きな工事をする必要もなく発展してきたということである。
ここには現在、鉄鉱石のマウントニューマン岸壁(二つの船が接岸可能)とゴールドワージー岸壁、そして塩の岸壁と合計4つの岸壁があるが、それらすべてが店から車またはボートで10分以内で行き来が可能である。
カラーサの事務所からダンピアのEIIまで車で25分、PP(パーカー・ポイント。ダンピアにあるもうひとつの鉄鉱石搬出用岸壁で小さな船が多く来る)まで20分、そして事務所からポートウォルコットのあの地獄岸壁まで60分と、散り散りになった各岸壁を、全部まとめて面倒みているわれわれカラーサの店と比べると、仕事のしやすさの面でここポートヘッドランドには格段のアドバンテージがある。
それにここでは港が住宅地に隣接しており、店も港のすぐそばにあるため、通勤にもきわめて便利である。夜中の3時に船が入ってこようとも、接岸5分前に家を出れば、タラップを降ろされるのと同時に船へと上がっていける。ダンピア、ポートウォルコットともに到着まで1時間の余裕をみて早めに事務所を出なければならないカラーサの店とは比較にならない。
あとこのポートヘッドランドには、アボリジニの人たちと東洋系の顔をした人たちがけっこう多い。この町は真珠の養殖から始まり、数十年前には日本人も多く住んでいたという。実際ポートヘッドランドにもポートウォルコットの近くにも日本人墓地がある。100年以上歴史のあるこの町と、人口的に20年ほど前に作られたカラーサとではこの点にも大きな違いがあるようだ。
毎日のことながら、でっかいハンバーガー1個とコロッケ2個という超シンプルなピルバラ定食で昼飯を簡単にすませ、これからのノンストップ2時間半のドライブに備えて、缶入りドリンクを二つ買う。愛車トヨタハイエースよ、しんどいけどもう一回お願いします。
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