1986年3月L日
悲惨なプライベートタイム

このキャラバンの住み心地はなかなか快適だ。外から帰ってドアをジャーンと開けた瞬間、約30秒はサウナ風呂以上の熱波を味わうことは避けられないが、2つあるクーラーをメいっぱい回すとそれもすぐに収まってくれる。
アーノルドが買ってくれたベッドは広々として心地よく、一人で寝るにはジツにもったいないシロモノである。キッチンもガスコンロ、冷蔵庫ともに申し分なく働いてくれる。シャワーもお湯が24時間使えるし、カエルやトカゲとにらめっこしながら使うトイレもなかなか味があってよい。
ただカラーサに住むにあたって問題なのは、プライベートの時間がどうしようもなく手持ち無沙汰なことである。日頃、町中を走り回っているため、この小さな町の知らないところはない。どこかへドライブするといっても、東は250キロ先のポートヘッドランドまでたいして見るべきものはない。
また西へ行くと、次の町は690キロ先のカーナーボンまでいくつかのガソリンスタンド兼ホテルを除いて、見るものはただ砂漠と道路と電線と空しかない。
街で食事を出してくれる店はピザやサンドイッチのテイクアウトが主でなかなか美味なのはなく、レストラン的なものは中華屋が1軒あるがどうも一人で行く気はしない。
カスがたむろするこの町にたった一つのパブには、まったく行く気がしない。理性というものを暑さが奪い取ってしまうこの町では、住む者の野性が人々の態度な中にくっきりと浮かび上がる。
この国の伝統、白豪主義は、気候が穏やかで理性が保ちやすい南部の都市域ではその影をひそめたような感があるが、北部の理性が蒸発してしまった地域ではアルコールが入れば、すべてホンネの世界である。
実際、このピルバラあたりに集まったオーストラリア人の中には、南部でまったく仕事にありつけないという、どうしようもないカス、あるいはただカネだけを目当てでやってくる(ピルバラの労働者の平均給与は南部より約50%は高いという)ならず者といったヤカラがメチャクチャ多い。
早い話が北部オーストラリアの多くの町は、マカロニウェスタンに出てくるような、社会からはじき出された荒くれ男たちの行き着く果ての果てなのだ。外観の違う人々に対して、この町は決してその門戸を開けようとはせず、この国が潜在的に持つ隠然とした排他性をここぞとばかり見せつけようとする。
1986年3月M日
絶望的な食生活と家族

夕飯は船からもらうインスタントラーメンと、ナベで炊くご飯ですますことが多い。日本にいた時も朝食はパンでも大丈夫だったオレだが、ここへ来て朝に食パンとコーヒー、昼にハンバーガーとコロッケだけでは、さすがに舌が腐ってしまいそうになるため、夜にはメシつぶを食べるようにしているが、このクソ暑いさなか、疲れて帰ってきたあとにたった一人分の料理を作る気にはなかなかなれないものである。
たまにフライドチキンやピザを買って食べることはあるが、あまりうまいとは思わないし・・・(オーストラリアでうまいものを捜すのは、もともと非常に困難なのだが)
今日の夕食は、ブタ肉の醤油焼きとレタスだけのサラダと昨日の残りのご飯。オレのメシとしてはなかなかのごちそうの部類に入る。
今日、船からもらってきた日本の週刊誌に、プロ野球選手夫人の自慢料理特集みたいな記事がカラー写真付きで載っていた。その夫人たちの実に心のこもった料理に、あふれるヨダレを抑えきれなかったこともさることながら、食卓を囲む各選手の家族の笑顔がやけに暖かく映った。
特に阪神の長崎選手だったか、あの一枚の写真は家族というものがいかに男にとって大切なもの、必要なものであるかを無言のうちにオレに語りかけてくれていたように見えた。誰かに身の回りを世話してもらいたい、などと生まれて初めて思い始めた自分に気がつく。
日本にいたころ、大学の同期が次々と結婚していったが、それをうらやましいと感じたことなどただの一度もなく、むしろ人生の墓場と呼ばれる場所へ入る儀式をわざわざハデにやって、いったいこいつら何を血迷って喜んでいるんだろう、と不思議がっていた自分も今28才の誕生日を目の前にして、生まれて初めて結婚というものに、切望とまではいわずとも、単純なあこがれを抱き始めたようだ。
だといっても、それは、ただ自分の代わりにメシを作ってくれる人が欲しい、というきわめて卑賤な欲望にしか過ぎないのかもしれない。
べつに愛なんてもの欲しいとは思わない。それよりも、いまは・・・・。
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