1986年4月B日
魔法のようにうまかった船のメシ

移民局からはあの申請の日から一ヶ月半たった今も何も連絡がない。はたしてあのビザの扱いはどうなっているんだろう。ここの国の時間の観念にはもう慣れたし、便りのなきはOKの印かもしれない。すべてはむこうさんの決定しだい、気にとめても仕方がないことだ。
家族の者にも今後の予定を知らせたいようで、知らせたくないような心持ちでもあるし・・・・。身動きの取りようのない日が続く。
しかし、今日あいさつに行った大阪商船三井船舶の船で食わしてもらった食事はうまかった。結局、仕事はもらえなかったが、まあ昼メシでも食っていけや、と言われて、待ってましたとばかり箸を取った。
乗組員のみなさんが食べ終わったあとだったため、オカズは何も残っていなかったが、ご飯と漬物が山のように残っていたため、ここで会ったが百年目とばかり、オレはご飯をお茶碗になんと6杯、漬物を約8人前、あっというまにたいらげてしまった。
実際、このメシは魔法のメシかと、しげしげと眺めたほど、食っても食っても底なしの胃はCome on!のサインを繰り返し送り続けてきた。
周りの人たちがオレの方をじっと見つめていた。何か彼らの口もとが笑みを浮かべ、目もとが軽べつを含んでいるように見える。オレはあたかも3日間飲まず食わずで冬山の遭難から無事生還したばかりの登山者のようにでも見えていたかもしれない。
しかし、あのメシはオレの口と手の動きを止めさせない魔術を使っていたかのようだった。それにあの漬物。これこそ忘れかけていた祖国の味だ。おふくろの味とは少し違うものの、十年ほど前に北陸で食った伝説の漬物を思い起こさせてられて、思わず天井を見上げた。
聞くと、ご飯はコシヒカリ、漬物は最高級のものを今回出したとの司厨長の話である。日本を遠く離れていながらも、こんなうまいものが毎日食べられて、船の人たちってなんと幸せなんだろうか。
今夕、キャラバンに帰って夕食の用意にとりかかったが、レタスを切り刻み始めたところで、これから出来上がろうとする味なき作品を思い、ばからしくなって中断。ビールを3缶飲んで夕食の代わりとした。
1986年4月C日
何かちょっとおかしくなってきた感じ

仕事は順調にいっている。入港の数日前に日本語でテレックスを送りわれわれPOAの存在を事前連絡するという方法で、シーレーンに先制攻撃をかけるという戦法を取ったのが効を奏し始めている。商品も以前のように足りなくてどうしようもないということもほぼなくなった。
現在、ダンピア・ポートウォルコットへ来る日本船の4分の1ぐらいは、わがPOAのお得意さんとなったようだ(だが、あの新O島丸には、約1週間前再びダンピアに寄港した時、注文を断られてしまったが)。
この調子でいけば3割の線もそう遠くはない。それに余勢をかってか、韓国、フィリピン、オーストラリアの船もがPOAを使ってくれるようになってきた。
ただ、最近、何かが少しずつおかしくなってきたような気がする。この1、2週間、船の人々から、
「君、ほんとに日本人かい?」
「あんたのしゃべり方、なんかおかしいねぇ。」
「あんた、だいぶん変わった感じの人だねぇ。」
とか、頻繁に言われるようになってきた。
実際、人に言われずとも自分がちょっと変わっきていてるというかおかしくなっているような感じは何となく自覚し始めていた。なんとなく自分の中の日本人性みたいなものが薄くなってきているような気がする。
日本人たった一人にもう4ヵ月いて、週に最低2日は夜中に起き出して朝帰るという生活を灼熱の砂漠のハエの町でしていれば、無理もないことなのかもしれない。まあ、いいことか悪いことかもわからないし、あまり気にしないでおこうとは思うが・・・・。
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