1986年6月D日
アーノルドの自己弁護法に驚く

今日、パースの本社からデヴィッドというジェフのすぐ下で働いている人がやってきた。社長のジェフの命を受けてそれぞれの支店の活動状況を調査、これからの目標を提示するための訪問だ。
この手の訪問は洋の東西を問わず、今のままではダメだ、もっとここをどうしろ、そこをああしろなどと、できもしないことを言いたててくるものと相場は決まっている。特に遠く1,600kmも離れ、一説には地球上で最も住環境が整っているといわれる町にいて、たった1日や2日来ただけで、ろくにオレたちが日頃どれほど努力を払ってきたかに注目することもなく、まともな議論などできるはずがない。ジェフ同様、この男もまったくの役たたずだ。
そして、今日また新しい発見をした。それはデヴィッドの詰問に対するアーノルドの返答の仕方が、日本人のそれとはまったくかけ離れてやり方で、きわめて奇異であったということだった。
彼はデヴィッドから責められると、自分はまったくのゼロからこのカラーサ支店をここまでにした、誰の助けもなしでだ、オレが助けを必要とした時本社はいつも足を引っ張った、ポートヘッドランドのボブなど、むしろいつもオレの仕事の邪魔ばかりしやがった、などなどの内容を繰り返すのみである。
日本ではいくら上司から文句を言われようが、同僚や他の上司の悪口をさんざん言いまくって、自己の正当性をとうとうと主張するなどというやり方は、あまりにも卑怯と受け取られる可能性があるため、ちょっと考えにくい話である。
だが、アーノルドはまさに徹底的にこの論法で自己を弁護する。そしてそれを聞いているデヴィッドも、なんら怪訝な顔をすることなく、その話を真剣に聞いてやっている。はたしてこういうのは、この国ではごく一般的に行なわれていることなんだろうか。
よくはわからないが、どうもこのあたり個人的な差というより、やはり終身雇用が保証されているがどうかに起因するからではないんだろうか。というのは、もしアーノルドがデヴィッドの指摘するこの店の問題点に対し、何の反論も加えずに放っておいて、その後その点についてこの店が何の進歩も変化も見せないとなれば、この店の評価つまりアーノルドに対する評価は当然下がる。
評価が下がれば給与にも響き、下手をすればクビということにも十分になりうる。つまりアーノルドのあの異様なまでの自己弁護法は、自分がこれまでやってきたことに対し、デヴィッドが持っていた誤解をなんとしてでも解かんがため、自分の正当性をこれでもかこれでもかと徹底的に納得させるための、彼のなりふりかまわぬ自己防衛の方法なのだ。
終身雇用が保証されていないこの会社この国では自分の地位は自分一人で防衛し、向上し、生存していかねばならないという大原則をここに見るような気がする。
傍目には決してみっともいいものではないこの情景だが、これも西洋社会の個人主義というものの横顔の一部なんだろうか。だとしたら、個人主義というのは、どうやらわれわれ日本人にとって、きわめて消化し難いものといえそうだ。
コメント