1986年6月F日
船長と人格そして学び

仕事はほぼ好調に進んでいる。今ではダンピア・ポートウォルコットに入る日本船の4割はPOAのお客さんである。いきおい船へおじゃまする回数も増え、親しく話をする人の数も増えてきた。
ここへ来て思うのは、船長という役職に就いている人というのは、やはり一味違った人格を持つと思われる人が多いということ。もともとそういう人格を持った人がその役職を手に入れるようになるのか、それとも船長という役職がそういう人格をごく自然に作り上げるのか。
先だってS海運会社の某船長には初対面にもかかわらず、夕方から夜半まで酒のお相手をさせていただいた。この会社には就職活動時に多少動いたという関係上、他の船会社以上に親近感を持っていたのだが、船長はこんな地の果ての砂漠に独り暮らすオレに興味を持ったのか大いに励まして下さり、感激。
就職の時にお世話になったY氏が活躍されておられること、船長という職務の辛さ、おもしろさ、などをどこのウマの骨かカンガルーの骨かも知れぬ青二才にきわめて率直にお話して下さった。
また某汽船の船長も話好きで、オレが遊びに行くと、必ず、
「オイ、ハルナさんや。一緒に飲もう。」
といって、いつもジョニーウォーカーの黒とグラスを二つ自分で運んできて、オレに注いで下さる。
彼の属する船会社には、まさに「This is the 船長」といった風格を兼ね備えられた人物が数多くいらっしゃるが、傍から見ても、彼はその中の若手の中の一人として、乗組員の信望もきわめて厚いようだ。
「ハルナさんや、失敗を恐れてはいけないよ。」
というのが彼の口ぐせだが、彼が口にするとその当たり前と思いがちな言葉にもぐっと重みが加わってくる。
オレ自身、敗北感とかまで抱いていたわけではなかったが、実際、日本の基準で見れば、オレの現在の生き方は、失敗者が敗者復活戦に臨むためのトレーニングになぞらえられても仕方がない。船長もそのことについて気をつかって、おっしゃって下さったののかもしれない。
「なんといっても、オレ自身の結婚が失敗だったんだから・・・。」
と、おっしゃる船長。
何もないこの砂漠の町で、風変りで労苦多いこの仕事を通じて、これまで学んだものは、まさに数千冊の本にまさる量だ。
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