1986年9月G日

晩冬のニュージーランドでは二十日間のうちの半分以上寒い雨にたたられたが、ここシドニーではすでに初春の暖かさで晴れが続く。ほんとこのシドニーという町は気候に恵まれた町だと改めて思う。
当初シドニーにはそれほど長く滞在せず、早急に東南アジア経由のヨーロッパ行きのエアチケットを買う予定だったが、この町に魅かれ予定変更。もう少し長く滞在してこの町を楽しみたいとコロッと気が変わった。
シドニーはオペラハウスとハーバーブリッジで有名で、誰もが一度はそれらの写真を見たことがあると思うが、実際に現地に行くと写真と実物とでは印象がかなり違う。二つは直線距離で300~400メートルしか離れておらず、ほぼいつもセットで目に入ってくる。
それらの南側すぐ近くには摩天楼群があり、大型船からヨットまでが通過する海峡があり、その海峡の北岸に美しい家並みがあり。そしてそれらを上下に覆うのが鮮やかな青い海と透き通った空気の青空。
シドニーもパースほどではないが晴れの日が多い町で、晴天の日に町を歩く爽やかさはこの上ない。特に初春のこの町に来れたのは幸いだった。
長期滞在にはやはり仕事先が必要なので、はてどうするかと考えたときにある人のことを思いついた。
カラーサ滞在時、ある処女航海の日本船がポートウォルコットまで来た。記念のパーティが船上で開催され、POAも関係者として招待されて、オレが出席させていただいた。
そのときはるばるシドニーからその船が属する日本のD海運会社のオーストラリア代表が来られていて、あの地の果てでオレみたいな日本人が仕事をしてるのを見てたいへん驚かれた。
珍しさとその海運会社にオレの出身大学の卒業生がたまたま多いこととかで、親しく話しをさせていただき、もしシドニーに来ることがあったらぜひ来てくれとの言葉をいただいていた。その縁でずうずうしくお言葉に甘えて事務所まで立ち寄らせていただくことにした。
この海運会社の「つ〇ば丸のT船長にはカラーサで何回も注文をいただいたんです」と告げると、なんと代表とその船長とが偶然にも同郷で同い年であり、日本ではよく飲んだりしたということであった。
考えれば二人とも心意気がありあっさりして、よき良き九州人という感じで似たところがあったように思う。
この代表にシドニーで働きたいんですが、何かご案内いただけるような可能性はありませんでしょうか?と率直に持ちかけてみた。日本を出て厚かましさもすっかり身についていたのを自分でも多少恥じたが、代表は快く知人の一人の名前を教えてくださった。
そして代表から紹介していただいた人のコネで町のど真ん中にある大きな免税店での職がものの2日で決まった。ほんとこんなに簡単に決まっていいのかなと思えるほど。やはりいい人と知り合うと幸運に恵まれるものなのだと思う。
<メモ>
この免税店でオレはこのあと就労することになるが、ニュージーランドでもらったこの国でのビザは観光ビザ。つまり就労は許されないいわばヤミ就労だった。このストーリーを読んでいる良い子は真似してはいけない。
コメント