C-12 アーニャと再会-ダスティンホフマンになったオレ

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1986年10月A日

ストリップショー, ダスティンホフマン

 シドニーで最初のアパートはRedfernというセントラル駅から少し南にある、余り治安が良くないと言われている地下鉄の駅の近くのロッジだった。

 夕方ロッジに帰ると、アデレードで会ったアーニャからの電話メモを管理人のオバサンが届けてくれた。読むと今日午後7時0分シドニー発のグレイハウンドのバスでメルボルンへ行くとある。

 時計を見たら6時20分。あわてて通りへ飛び出しタクシーを捕まえ、グレイハウンドのバスストップへと飛んだ。

 アーニャは一人で広い待合室に座っていた。聞くと今晩夜行でメルボルンまで行って、一泊後にアデレードに戻るという。オレがメルボルンには1泊だけなら行かない方がましだ、いまのオレの部屋にもうひとつベッドが空いてるから、そこで泊まっていけばいいよ、と言ったことに彼女は素直に従ってくれた。

 ロッジの部屋に荷物を置いて、夕方のシドニーの町を歩いた。彼女はすでにシドニーに2泊したが、連絡に使った中央郵便局にオレからの手紙を受け取りに行ったが見つからず、今日やっと見つかってすぐに電話連絡してきてくれたということだった。

<メモ>
 世界のほとんどの国で「郵便局留め」という郵便サービスがあって、オレたち安旅行者はそれをよく利用した。その使い方は以下のようなものだ。
 手紙の受取人の名前をまず一番上ぼ行に書き、その次の行にあて先住所を「G.P.O. = General Post Office =中央郵便局」と書いて、その町の名前を書けば、その手紙はその町の中央郵便局である一定期間預かってもらえる。
 紙の受取人は居住者でも旅行者でも受取人本人を証明する書類を持っていけば、自分あてに届いた手紙を受け取ることができる。
 例えばパースにいるオレがシドニーにいるジョンレノンに手紙を出す場合はこのように↓なる。
To / Mr. John Lennon
G.P.O Sydney
 至って簡単だ。

 オレはニュージーランドへ行く前に彼女に住所を知らせる手紙を出しておいたため、間違いなくその手紙はシドニーのど真ん中マーチンプレイスにある中央郵便局に届いていたはずだったが、ここでもいわゆる「オーストラリア式仕事」にやられて、危うくオレの手紙は彼女に届かなくなるところだった。

 彼女もドイツの基準と比べてオーストラリア人の労働規律が劣ることはアデレードで痛感したらしく、二人でこの国をののしり合ってわずかばかり憂さを晴らした。

 食事を軽く済ませ、彼女にシドニーの夜をもう少し楽しんでもらおうと、またちょっと先輩風を吹かせたくて、以前に一度だけロッジの知り合いに連れていってもらった「マンダリンクラブ」という主に中国人のためのクラブへ彼女を誘った。

 ここはシドニーで多少有名な会員制のクラブとのことで、本来会員以外は入場できないが、入り口で前にいる人たちの連れのふりをすればチェックをすり抜けて侵入可能だ。

 店の中は中国風のインテリアで、毎晩日替わりでショーが催され、テーブルと座席も他のオーストラリアのパブとかと比べてもゆったりしたスペースで配置されている。

 前回ここに来たときはすごく上手なオーストラリア人の女性歌手とシンガポールから来た女性歌手が、主にアメリカのカントリーウェスタンの歌を聞かせてくれた。

 今回も同じようなショーをやってるものと思っていたが、この日は途中からなにやら様子がおかしくなって、オレはこの夜映画の主人公のようなとんでもない赤っ恥をかくことに。

 中国人の司会者がなにやら中国語で誰かを呼び出したとたん、ぞろぞろと若い中華風の男性客たちがステージの方へと近寄っていった。すると例の中華風のジャーンというシンバルとともに女性二人組の踊り子が超派手な服装で出てきて、踊りを始めた。そして派手な曲に乗って、なんと彼女らは着ている衣服を一枚一枚脱ぎ始め、いわゆるストリップショーを始めたのだった。

 これはマズいとアーニャを見たら、口をへの字に曲げて、オレを見返してきた。オレは
「ごめん、前に来たときのショーはこんなんじゃなかったんだ。ゴメン・・」
「いいのよ、ケン」
「・・・」

 次の言葉が続けられずに、オレは「卒業」という映画のシーン(彼氏ダスティンホフマンが彼女キャサリンロスをその手のショーをするナイトクラブへ誘って彼女が泣き出したシーン)を強烈に思い出しながら、その踊りの曲が終るのをただ待った。

 かぶりつき席の中華人男性らは踊り子さんらにお祝儀の紙幣を胸の谷間に挟んで大声で喜んでいた。

 おそらくその曲はわずか2‐3分だったのだろうが、オレには永遠に続くのかと思えたほど長かった。曲が終わったあとオレたちは店を出て、オレは必死の弁明をした。

「いや、ほんともう一回言うけど、オレはあんなショーが今夜あるとは全く知らなかったんだ。」
 オレの顔をチラっと見た彼女の顔は、口角だけは上がっていたが、目はオレを見ずにオレの後ろ100メートルをぼーっと見ていた。

<メモ>
 アーニャはオーストラリア入国以来、オレにとって初めて親近感を持った非日本人女性だったのは間違いない。
 このあとオーストラリアを出て以降も2回会うことになる。で、振り返って彼女に高いレベルの特別な恋愛感情的なものを感じていたかどうかだが、どうもそういうものではなかったと言える。
 第一に彼氏がいると聞かされていたということがある。そしてそれよりも思い当たるのは、カラーサのような極限の場所で長く緊張感いっぱいで生活をしてきたため、当時のオレは何かやさしさみたいなものに過剰に敏感になっていたように思う。
 さらにパースを出て心細い思いをしていたところで、同宿の彼女と偶然話しをするようになった。そのときのいくぶんひび割れていた心のすき間をたまたま埋めてくれたのが彼女だったので、親近感を持ったのだと思う。それだけカラーサでの日々が極端に厳しかったことの裏返しだったのだろう。
 彼女には旅に良い刺激と潤いを与えてくれたことにたいへん感謝している。

 アーニャはドイツへ数週間先に帰国する予定だが、その途中のバンコクで数泊するとのことだった。オレはヨーロッパへ行くときには東南アジアでストップオーバーして数か月旅する予定にしていたので、お互い都合がつけばタイのバンコクでまた会おうということになった。

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