1985年8月H日
ノリさんの商売を手伝う

ノリさんが彼自身の商売を近々始めるため、ここ2週間、昼の間はその手伝いをやっている。彼は生粋の博多っ子で、お隣りの佐賀県の有田焼をこの国へ輸入、販売しようというのである。自分は彼より少し英語がマシだということで、税関の手続き等を先週まで手伝い、現在、数日後に控えたフリーマントルでの展示即売会の手伝いをしているところである。
この商売は、彼がこの国へ移住する前からの夢としてずっと暖めてきたものだという。彼は2年前に福岡から連れてきたエリさんとこのパースで式を挙げ、今年始め女児をもうけ、最近新しいアパートに居を移した。そしてここへきてようやく時期熟せりと、2ヶ月前に有田の卸売り先へ初の発注という運びに至ったというわけである。
フリーマントルの海岸近くにあるアートギャラリーと話がついて、約2週間そこの1階のフロア約100坪を借り切ることになった。ギャラリーの人の話では、入場者数が1000人近く、収益1万ドルも夢ではないと強気の構えである。ノリさんも大いにその気になって、成功のあかつきには、オレにも報酬をジャーンとはずんでくれるという。
実はここんとこレストランの週90ドルぽっちの稼ぎだけでは、貯金をしようにもできるはずもなく、銀行の残高はここ数週間300ドルからいっこうに増えも減りもしない。この仕事が一発当たれば、オレのフトコロの温度もシベリアのそれから北海道のそれぐらいにまで上がってくれるんだろうが。
1985年8月I日
アヤコさんレッドスターへ

アヤコさんに、よかったらレッドスターに入ってみたら、となんとなく勧めたところ、彼女もなんとなくその気になっていたらしく入会へ。最近は二人仲良くオレの車で一緒に練習に通っている。
まだ無邪気なアヤコさんのような女の子と話をするのは楽しいものだ。やはり日本人の女の子の方が、オレにはフィーリングが合うのかもしれない。
これまで会ったこの国の女の子たちは、どうも自分にはそれほど印象的には映らない。ウェイトレスの女の子たち、レッドスターの女子チームの子たち、あといろんな機会に出会った女性たちもなんとなくしっくり感じてこないのはいったい何故なんだろう。
まあ日本を出る前の数年間もしっくりきた女の子はまったくいなかったが、この開放された日常生活の中で、何事もハートに変化が起こらないというのは、いったいどうなっているんだろう。
このまんまホモへの道をまっしぐらなんてことになりませんように。なにせこの国は多いらしいので・・・・。
1985年8月J日
スーパーリーグ中間、プレーがいまひとつ

スーパーリーグの戦況はこのところ一進一退。上位3チームが混戦となって、勝敗を分け合っている。補欠ではあるがオレも試合に出る回数が多くなってきた。
プレーが昔のようにできないのがまったく腹立たしいが、いまの週1回づつの練習と試合ではあまりにも少なすぎて、5年前の力を取り戻せと思うにも、どうしても身体が言うことをきいてくれない。
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