D-06 ビルマ=タイムマシン不要の別世界

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1986年11月F日

ビルマ、寺院

 ビルマとは。

・日本の秋から冬にかけて一滴の雨も降らない国。
・まるで天空の1/3が燃えているように赤い夕焼け。
・共産党に一党独裁された国。
・外国との交流をできるだけゼロにしておきたいと思っている国。
・日本人によく似た顔を持つ土着のビルマ人、そして中国人やインド系の人たちなどの多民族国家。
・世界でも最貧といわれる国民生活。
・第2次大戦中、日本とイギリスとの壮絶な戦闘が行なわれたところ。
・タイムマシンを使わずに、見るものすべてが何十年もボロボロのままの世界を見せてくれる国。
・本当にまったく信じられないくらい日本人に親切な人々。
・やはりメチャクチャ暑い国。
・国営航空会社でさえコンピューターを持たない国。

 これらがオレが知りえたビルマの横顔である。バンコクからラングーンまで飛んでこの国に9日間(本来外国人は7日間しか滞在できないが、予約してあった飛行機の席が突然キャンセルされて、無理やり2日間延長させられた)滞在したわけだが、この国ほど「いみじき」思いをさせられた国はない。

 バンコクから引きずった日射病のため、9日のうち6日はまさに半分死ぬ思いで無理を押してあちこち動き回ったが(といってもビルマ内で訪れた町はラングーンと第2の町マンダレーの2都市だけだったが)、ホント夢のようにいろいろなことが起こった9日間だった。

 特に以下のような出来事は、日射病で半分以上マトモでないオレの頭には処理しきれず、対応にはまったく苦慮した

この国でのNo. 1女性歌手とNo. 2男性歌手の夫婦と知り合い、彼らのコンサートを楽屋裏から見せてもらったこと。
その楽屋裏で、あなたはとても素敵です、と請うように次の日に町の案内をさせてくれ、と超ベッピンさんから頼まれたこと。ただ非常に非常に残念ながら、オレはその日に日射病がピークに達して、結局次の日は宿から一歩も動けず、約束した場所まで行けなかった。無念!!!!)。
・たまたま知り合った人から、市場でおみやげを買ってもらったこと(オレは断固いらない、と言ったのだが、彼女は押しつけるようにしてビルマ特産のショルダーバッグと壁飾りをオレに渡した)。
・その彼女の知り合いの医師から日射病のためと抗生物質を1壜タダでもらったこと(この国にあっては、これは非常に高価なもののはずだが)。
・何かの祝日の日の夜、群衆が集まるラングーン市役所の真ん前の広場で、ホモのおニイさんにさんざんつけ回されたこと(実際、この広場には女装のおニイさんたちや、男同士で腕を組んで歩いている人たちがメチャクチャ多かった。もともとこの国にはこのテの人たちが多いのかもしれない。なにせこの国の女性はそうとう強そうだから・・)

 いま、このバンコクに帰っても、ビルマでのあの9日間は何か夢の中の出来事であったかのように思い起こされる。

 ふつう、ビルマを訪れた旅行者は大いに満足して出国する。というのも、ここビルマではいわゆる通貨交換のブラックマーケット(闇取引。銀行の正規ルート以外でなされる発展途上国ではよくあること)というやつが存在して、ここでは正規市場と闇市場の差がケタはずれに大きく、約5倍もあるからだ。

 この1986年11月現在、正規ルートは1米ドルが約7チャット(ビルマの通貨単位)であるのに対し、闇市場では1ドルが約35~40チャットで取引されている。つまり闇市場でカネを交換すれば、同じ持ち金でも通常の5倍の価格のものが買えるということである。

 闇市場といっても、真夜中に暗がりの中で文字どおりクラーく取引されているのではなく、炎天下のもと有名なホテルなどの前の路上でまさに白昼堂々と売買は行なわれている。

 そのため、通常ビルマを訪れた西側の旅行者たちは、ここぞとばかり泊まるところと食べるものにぜいたくをする。なにせこの国の最高級ホテルが、約3、4ドルで泊まれるのだから、一泊80セントくらいの宿に泊まろうとする者は一人もいないだろう。

 そのため、ビルマに行く前にバンコクで会った多くの西側の旅行者たちは、ビルマは最高にファンタスティックなところだった、とみな一様に口にしていた。

 だが、オレたちが訪れた時には事情がまったく違った。というのも、この時期ラングーンでは年に一度という大規摸な宝石のバザールが行なわれており、全世界から宝石のバイヤーたちがいっときにこのラングーンに詰めかけていた(ビルマはヒスイ、ルビーの名産地として有名)。そのため、すべてのラングーンの一流ホテルは満員となり、いきおいオレたちは町中の安宿に向かわざるをえなかったのだ。

 タイあたりでは安宿といってもある程度の清潔さが保たれているが(タイはシンガポールを除けば、東南アジアで最も清潔な国だとオレは思う)、ここビルマではちょっと具合が違って、その清潔度はまさに世界最貧といわれる国のそれ。西側の基準ではちょっと想像しかねるレベルである。

 それに、食べ物の不衛生具合も抜群。この国に1ヶ月住んで下痢をしない西側の旅行者はまず100人中ただの一人もいないだろう。あと、すべての公共施設、社会基盤(道路網、鉄道、バスといったもの)の整備具合も、日本と比べれば少なくとも40年は遅れている。

 そんななかで、言葉も十分に通じず(といっても英語を上手に話す人の比率は日本の10倍もあるだろうが。ビルマは昔イギリスに統治されていたため)、共産党一党独裁のもと満足できるグレードの商品は手に入らず、バカみたいに暑い暑い気温に連日連夜襲われれば、よそから来たものは死にこそしないものの、完全にまいってしまう。

 そんなわけで、オレたちがラングーン空港からバンコクへと帰るフライトの席の取り合いはまさに壮絶。乗客みんな一刻でも早くこの国を出たいと、ケンケンとした殺気が一国の正面玄関とは到底思えないようなきわめて「クラシックな」空港内にみなぎっていた。

 オレたちを運んだバンコク行きのビルマ航空のフライトは、いつものことなのだろうが約2時間の遅れ。そして最後の乗客が乗り込み、ハッチドアが閉められた時には、期せずして機内に歓声の大拍手がまき起こったのだった。最初から最後までこのビルマでの9日間はまさに夢の中の大嵐のように過ぎていった。

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