1986年11月G日

ラングーンからバンコクへと帰る飛行機の中で、年齢45才ぐらいの少し変わった感じの日本人男性と会った。この方は某有名大学卒で在学中から学生運動や政治活動に没頭したという、かつての闘士の典型的な言い方は悪いが”なれのはて的な人物”だった。
なんでも彼は若いころソ連の軍事教練学校に2年在籍、ドイツに(何をしに行ったか知らないが)1年在住、またベトナム戦争真っ盛りの頃は南ベトナム側を支援するためサイゴンに潜入し、ホンモノの戦士として武器をもって北側との戦闘に参加、サイゴンが突然陥落した時には命からがらの逃飛行でベトナムを脱出した、などなどの経歴をお持ちという話。
彼の若いころの基準からいえばまったくのノンポリともいえるオレのちょっと想像も理解も越えた人物だった。まぁ口ぶりからいろんな意味で彼がそうとうタフでワイルドなお人であることだけは誰にもわかるが。
彼は積極的に汎アジアブロックつまり大東亜共栄圏的なものを強力に信奉するお方で、現在ある小さな会社の役員をしながらも、かたわらでアジア各国から人を日本に招き入れては何らかの技能を身につけさせてはまた国へ送り返すという、半分慈善事業みたいな活動をされているようだ。
このいみじき人物がビルマでのある事件を話してくれた。
ある朝、彼がラングーンで1,2を争う高級ホテルの1階のカフェテリアで、一人で朝食をとっていた時のこと。
朝食にはパンとコーヒーとソーセージ、そしてデザートがついていた。彼はパンとソーセージを食べ終わり、2杯目のコーヒーを頼んでデザートにさてとりかかろうとしたという。
その時フランス人の団体客の男性4人が彼のテーブルにやってきて、そのテーブルを明け渡してくれ、と言ったという(どんな感じでしゃべったのかは定かではない)。
そのテーブルは4人掛け。おそらく彼らは、空いている2人掛けのテーブルかどこかへ彼に移ってもらいたかったのだと思う(まったくの推測だが)。
そしてここから彼のとった行動が非常に問題であった。
彼はそこで、まったく表情を変えずスクッと立ち上がり、まったく無言で、若いころ覚えた空手(3段とかおっしゃった)でもって、その中年のフランス人男性4人全員をわずか1分足らずでブッ叩きのめしたという。
哀れなフランス人4人は、東洋の大魔術、空手にかなうはずもない。ひとりは前歯2本を折り、ひとりはアバラ骨を破壊され、ひとりは額にパックリと裂け目ができ、ひとりは・・・・、と、旅先で遭遇する災難としては最悪の事態に陥ってしまった。
当然のごとく、カフェテリアの中は椅子、テーブルが転がり回り、床には血がベッタリ、その床の上を男4人が四つん這いではい回り、周りの女性客の金切り声がとどろき渡るという、映画でしかなかなか見られないような凄惨な舞台となってしまった。
このあと、この日本人の男性はもちろん4人のフランス人も全員警察へ連行された。だが、最終的にビルマ警察はフランス人4人の方に非ありとし、この日本人闘士は無罪放免という結果に終わったという(このあたりの背景は不明。この人が他のアジア人はじめビルマ人に対してこれまで積極的に行なってきた活動が警察の人々の心に訴えたのか、それともこの国の伝統的な対日感情のよさが表れたのか・・・・。)。
明らかに彼は外国での居住期間もオレよりはるかに長く、外国人の友人も多く、もちろん人間としての人生経験も豊富なお人である。また学歴や職歴からも能力面では相当の力量をお持ちのお人である。
しかし、少なくともこの人があの時カフェテリアでお取りになられた行動は決して尊敬されうるものではない。
この人はその出来事を笑いながら多少自慢気にオレに語ってくれたが、聞いていたオレの胸の中は、話を深く聞くにつれやりきれない思いでいっぱいになっていった。
この人の言う「人がまだ食っている最中に、無理やりその席をどけ、と言われればオレは黙っていられないんだ、オレは当然のことをしたまでだ、ビルマの警察の判断も当然のことだ。」という思いもわからぬでもない。オレも言われ方次第では彼と似たような行動に出てしまわざるをえないかもしれない。
しかし、彼は空手の黒帯保持者。日本では故意にケンカでワザを使えば殺人未遂に問われるお人、つまり彼自身は生ける凶器ともいえるお人なのである。当然、身体の大きい白人であろうが、なに人であろうが、彼の前にはほとんどの人間はみな子供同然なのだ。いうなれば彼は文字どおり無防備な赤子の手をひねりつぶしてしまったわけだ。それもひとことの声も事前にかけることなく・・。
この東南アジアは、いうまでもなく40数年前、日本軍が暗いかげを落とした場所、われわれが圧倒的な力でもって地元の人々を有無をいわさず支配下においたところである。つまり巨大な権力でもってわれわれがこの地域そして英国軍をこれでもか、とねじ伏せた事実をいまだ色濃く映す日本の近代史上の一大汚点を残した場所なのだ。
実際、この事件を聞いて、わが日本男子ここにあり、と積極的な感銘を受ける日本の方は多いかもしれない。しかし、彼のやり方はあまりにも野卑、野蛮、かつ子供じみていたとはいえはしないか。あの時、彼がお取りになられた行動は、あまりにも鮮やかに40数年前のわが国の姿を連想させて余りあるものではないだろうか。
そして、オレが彼のこの話を聞いていてやりきれなくなったのは、わが国が先の大戦で負けたことに対し、再び力でもってそれに復讐するんだとでも言いたげな思いが、その言葉の裏にはっきりと見て取れたからである。
力による解決。あまり僭越なことを言える立場にはない自分だが、それは決して本当の解決にはならないということぐらいは言わせてもらえるはずだ。そんな野蛮なやり方は数世紀前のイギリス人とスペイン人、そして現代のアメリカ人までにしておきたい。20世紀終盤に生きるわれわれには、われわれ独自のやり方がきっとあるはずだ。
上記の話はバンコクのシェラトンホテルでランチをごちそうになりながら聞いたものだ。
ランチのあと、彼はロビーに待たせていた馴染みのホステスさんのむき出しの肩を左手で抱いて、残った右手を上げて、
「じゃあな、気をつけてな・・・。」
と、オレに言い残してエレベーターの中に消えていった。
腕力そしてカネ。
自分の持つ権力の大きさとその賢明な使い方にこの人が気づくのははたしていつのことになるんだろう。
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