1987年1月D日

エキサイティングな町マニラをあとにして、3日前に発ったパトリックとアメリカのロサンゼルス出身のジャックを追って、オレはフィリピン群島のほぼ中心に位置するペナイ島沖の小さな島ボラカイへとマニラ港から船に乗った。
前日に船のベッドを予約しておいたのにもかかわらず、チケットカウンターのオネエさんは船の出港前2時間には絶対自分の席に着いているようにと言った。ハテナ?何でやろ?と思ったが、当日船に実際乗り込んでみてその理由が十分に理解させられた。
港のターミナルビルの横を抜けて目的の船へと向かうと、桟橋の前には数百人の人だかり。これはいったい何事かと思いながら「Excuse me」を連発して、人垣をかき分けかき分け桟橋から船に乗り込む。
出航2時間前だというのに船に入ったところから通路は人に埋もれて、人ひとりがやっと通るか通れないかぐらいのスペースしか空いていない。オレはさらに「Excuse me」の声を大きくして、人の渦の中をチケットに書かれた番号の部屋とベッドを捜した。
乗組員にチケットを見せると、もう一階上の階の右側だという。バッグを頭の上に乗せて、さらにもう一階ギュウギュウ詰めの階段を登る。いい加減人を避けるため足をクロスさせながら登るのは疲れてくる。
周りからは人の声とともに、赤ん坊のなき声、にわとりの鳴き声なども混ざって騒がしいことこの上ない。建造後30年はたっているであろうこの「往年の最新鋭船」の船上はまったく無秩序な状態だ。
階段を登りきって右を向くと、そこはテニスコート1面分ぐらいのダダっ広く壁のない部屋だった。そしてその部屋の片隅にようやく捜し当てたオレの予約したベッドというのは二段式で、自分が占拠できるのは長さ約1メートル90センチ、幅80センチぐらいのビニールのメッシュのマット一枚分きり。そしてオレのベッドは上段。
そんなベッドがダダっ広い部屋一面に立ち並んでいる。その上段と下段に人々がコケコッコーと叫ばんばかりにひしめき合っている。バックパッカー好みの一番安いチケットとはこんなものだが。
上段のベッドのオレはバッグをしまう場所がなくそれを枕にした。うっかり腕と足を伸ばしてアクビでもしようものなら、前や後ろの人々に触れてしまう。
一人で旅行するつらさで、オレはこの周りの雑踏の迫力に完全に圧倒されて、船が出航して2時間ほどたつまで、ベッドに仰向けになったまま動けなかった。
船がステディなペースで走りだして、周りの人々もようやく落ち着きを取り戻した様子。オレはゆっくりと大きな深呼吸をした。
我に返りほっぺたをパシパシッと叩いて、むっくりと体を起こすと向かいのベッドの女の子とふと目が合って、なんとはなしにごく自然に話が始まった。彼女はオレがフィリピン人ではないとわかっていたらしく、英語で話しかけてきた。
実際オレはこの国に来て以来、これまでほぼまったく外国人旅行者だと思われたためしがなかった。もともと目が大きく唇が少し厚めの自分は、東南アジアへ来て以来よく日に焼けて、焦げ茶色の肌をしている。それに町を歩く時はTシャツに半ズボンにスリッパだけというスタイル。これではまず誰が見ても、オレが非フィリピン人の旅行者だとは気がつかないのも無理ないのかもしれない。
白人のパトリックやジャックはこの国で買い物をして、何回かボラれた経験があると言っていた(外国人旅行者がボラれるのは発展途上国では当たり前のことと知るべし)。しかしオレは幸いにもフィリピンでこれまでそんな経験はほとんどない。
例えばタバコを買う時も、欲しいタバコを指して少し大きめの紙幣一枚を無言で差し出すだけで、地元の人間と同額のお釣りが返ってくる。そういう意味では現地人に見られるというのは大いにありがたいことといえる。しかし、時としてぜひ外国人旅行者だと見てもらいたいと思う時もあった。
マニラで宿捜しをしていた時だった。ふたつほど外国人(欧米人の意)向けのゲストハウスを当たったがふたつとも入り口で「満室だ!」とケンもホロロに門前払いを食わされた。たいして混んでいる風にも見えず、ハテ?とオレは考え込んでしまった。
そして三つ目のゲストハウス。
「部屋ありますか?」
「ないよ。満室です。」
「ホント・・?」
「ホントだよ。×÷*+=〒&」
と、あと半分を親父はタガログ語で返事をした。
「えっ?なんですか?オレはタガログ語はわからないんだけど・・・。」
「タガログ語がわからないって?・・じゃあ、ビサヤ語(フィリピンの中部と南部で話されている言語)は・・・?」
「それもわからない。」
「タガログもビサヤもわからないって!?」
親父は眉をひそめ、オレを火星人を見るような目つきで、上から下までジロジロと見回した。
「じゃあ、いったいあんた・・・、どこの島の出身だい?」
「どこの島って、オレはフィリピン人じゃないよ。」
オレがそういうと、その親父はじっとオレの顔を見て、
「なにっ!?あんた・・・、フィリピン人じゃないって!?・・・じゃあ、あんたはいったいどこの国から来たんだい?」
「オレは日本人だよ。」
「なにっ!!?日本人だって・・・!!?」
親父はさらにじっとオレの顔を覗き込んだ。
「日本人って・・・???じゃあ、パスポートを持ってるかい?」
オレは例の赤いパスポートを差し出した。
「ふぅむ・・?ふぅむ・・・。」
といいながら、親父はパスポートの写真とオレの顔とを交互に2往復見つめた。
そしておもむろに、
「いやぁ、実は・・・、この部屋でよければ・・・、空いてはいるんだが・・・。」
と言って、空き部屋をふたつオレに見せた。
オレはそれらの部屋が値段の割に良くなかったのと、親父の態度が気に食わなかったため、そのゲストハウスは結局パスした。
あの時は相当アタマにきたが、今となってはあの親父が何を考えていたのかわかるような気がする。
というのも、このフィリピンでは先進国からの旅行者にまとわりついて、金品を騙しとろうとする輩が本当にゴマンといる。親父はオレをその手のフィリピン人だと思い込んでウソをついて追い払おうとした、ということではないだろうか。
別れ際にあの親父は「あんたはフィリピンよりもフィリピン人らしく見えるよ」と言っていた。
おそらく先の二つのゲストハウスでも同じように思われたのだろう。このあたりそれなりに納得できるところであり別に腹がたつわけでもないが、やはり不都合といえば不都合だといわざるをえない。
向かいのベッドの彼女はパラワンというフィリピン諸島の西端にあって、ボルネオ島(マレーシアとインドネシアにより分割されている島)に突き刺さるような形をした細長い島の出身で、マニラから里帰りする途中だという。まだ15、6歳ぐらいか、あどけなさがまだまだ十分に残った控えめな感じの少女である。
マニラでの仕事は?と、訊くと、彼女は何も答えなかった。人にあまり言いたくないような職業なのか、あまり収入もよくない様子だ。バッグは弟と妹へのおみやげとかで、やたらとぱんぱんに詰め込んである。
パラワンはフィリピンでも最も発達の遅れた島のひとつで、島にいてもいい仕事がなく多くの人々はマニラまで働きに出るのだという。彼女はパラワンへ帰って両親や兄弟姉妹といっしょに暮らしたいと望んでいること、そしてそのため一日も早くこの国が正常な形に戻って、政府が彼女のふるさとを何らかの形で支援してくれることを望むと言っていた。
そしてそのあと彼女は横を向きながら、ポツリと思いがけないことを言った。
「・・・・たくさんのフィリピンの女の子たちは、・・・素敵な日本の男の人のところへ嫁ぐのを待ち望んでいるんです・・・・。」
オレはその驚きの言葉を言い終えて横を向いたあどけない少女の顔と、反対側へ顔をそむけた。
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