D-18 電気のないボラカイ島から狂気の祭りアティアティハンへ

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1987年1月E日

アティアティハン, カリボ

 ボラカイ島でパトリックとジャックに再会。ボラカイは真っ白な砂浜に椰子の葉が垂れかかる、海外旅行のパンフレットの写真撮影にはもってこいの景観を誇る、地図にも載っていない可愛い小さな島だ。そしておもしろいことに、ここには電気は一切流れておらず、電話器も自動車も1台もない。

 なんでも最初ドイツ人がこの島の美しさと未開性に目を着け、その両方をうまく保存しようとしたとのこと。そしてそれらをセールスポイントとして観光客を集め、英語やドイツ語の旅行ガイドに載るほどまでにこの島を有名にしたとのことである。

 前近代の生活を味わいたいという、ある意味で非常に高貴な、現在世界一高い生活水準を誇るといわれるドイツ人(パトリックの話)らしい発想だと思う。

 実際、文句のつけようのない白い砂浜とエメラルドの緑色の海、海岸添いのやしの木の間を歩く心地好さ、自動車から身を守る必要がないこと、などなどこの島は現代人にとって魅力に溢れかえった島だといえる。

 ふだんはガチガチに働いて、束の間の休暇は静かなところで過ごそうという人々にとっては、この島は完璧な心のリフレッシュメントを提供してくれることだろう。

 だが、オレのようにこの2ヶ月の間、東南アジアでここと同じような景色をいやというほど見てきた者には、この手の場所はただ怠惰なフィーリングが改めてひき起こされるだけの場でしかない。

 ということで、国を出てもう7ヶ月旅をしているというアメリカ人ジャックとオレはドイツを出てまだ2週間のパトリックを残し、隣りのペナイ島のカリボという町で行なわれる狂気の祭り「アティアティハン」を見るため、そそくさとボラカイ島をあとにした。

 ジャックはアメリカ人にしてはかなりの好青年の部類に属する男である。半年前、カリファオルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の化学学科を卒業したあと、姉さんからタダの東京行きのエアチケットをもらい、2週間ほどの予定で何の気なしに立ち寄った日本に結局5ヶ月も居座ってしまったという。

 最初やつは東京からヒッチハイクやら何やらで神戸までやってきたあと、広島までの平和行進に加わり徒歩で広島入り。そこで広島の原爆投下日の記念式典に参加。

 そこで「オレはカナダの国旗を持って原爆慰霊堂の中を通りたくなった。」という感想を持ったという。

 それから、なんでも大分の別府のお寺で仏塔みたいなものを作る作業を手伝ったとかで、寺の生活を約10週間ばかり経験したと言っていた。

 やつはことあるたびに、日本人というのは世界で最も「Civilized(文明度が高い、礼儀正しいという意味か)」な国民だ、と強調する。

 日本へ行った外国人が日本人には奇異なぐらい日本びいきになるのはよくあることだが、アメリカ人がかなりお世辞好きであることを差し引いても、やつの表現はちょっと強すぎる感じである。

 ありがたいことではあるが、国を出て以来日本の悪いところばかりを思い知らされてきた自分には、どうもテレくささを禁じえない。まあ、悪く思われるよりかはマシとは言えるんだろうが。

 ボラカイの対岸の小さな村へボートで渡り、そこからカリボ行きのジプニーに乗る。そしてこれがなんとギネスブックものの超ウルトラ満載乗車だった。そのジプニーの乗客の配置は以下のようなものだった。

 まず二人が助手席に乗る。後部座席をぎゅうぎゅう詰めにして、十二人が座席に座り、5人が床にじかに座り込む。また10人が屋根の上に座る。そしてジプニーの最後部に10人が屋根のパイプを手でつかんでデッキ板上に立ち、運転手を合わせると、なんと合計40名が本来12、3人乗りのジプニーに乗っていたのである。

 オレは幸い後部座席に席を確保して座ることができたが、ジャックは最後部で、屋根のパイプにぶら下がらざるをえなくなってしまった。もちろん車は舗装されたところでは時速60キロ以上で走る。カリボまでの2時間、さすがにいつもは強がり屋のジャックの両目も真っ赤に血走ったままだった。

 乗客は外国人観光客数人を除けば全員フィリピンの現地の人々だが、みんなこんなの別になんでもないよという風情で、この喜劇のような行脚を楽しんでいるかのようだ。

 「マンガのような国」これがオレとジャックのフィリピンという国に対するおそろいの印象である。

 カリボに着くと、町はすでに文字通りのお祭り騒ぎ。太鼓と笛と鉄琴(顔の前で打つやつ)の小編成のバンドがそれぞれのチームを先導して、通りをぐるぐるパレードしている。すべて男性で女性は参加しないようだ。

 毎年、全世界から多くの観光客を魅きつけるアティアティハンは、フィリピンが未開の国であったころから延々と続けてきた伝統ある祭りだそうで、その見所は何といっても各チーム千差万別に趣向をこらしたコスチュームである。

 この祭りに参加する50におよぶチームはすべて大昔の時代の戦士のコスチュームに身を包む。そして彼らのその様はまさにそれこそエキゾチック決定版である。

 どのチームの戦士たちも全身を真っ黒、あるいは濃い茶色に塗り上げて、その上に白や赤の塗料で化粧をし、それぞれが勇猛さを競い合うように、踊りながら行進する。

 あるチームは全身を漆黒に塗りたくり、身につけているのは腰の回りの赤い布切れ一枚だけ、真っ黒な顔に白いペンキで線を入れて、右手に槍を持っている。

 あるチームは口から火吹く男を先頭に、インディアンの羽根飾りのような帽子を頭に乗せ、それと同じ柄のショールとスカートとひざ飾りとを身にまとっている。

 またあるチームはススキの穂のような蓑だけで肩と腰の回りを覆うだけのいでたち、もちろん足は裸足である。

 約3、40名、多いものでは50名を越える集団が、おそろいの格好で鬼気せまるエネルギーで踊り狂う様は滑稽だなどという感覚からはまったく掛け離れている。彼らがこの日までの数ヶ月間、練習に練習を重ねた上で行なうパフォーマンスは見事なまでに勇壮さらには華麗でさえある。

 そして彼ら踊り子たちを支える十数人の笛や太鼓や鈴のバンドの音はまさに圧倒的。これこそがライブミュージックなんだと叫ばんばかりに、バンドマンたちは各々の楽器に魂を込めて吹きまくり、打ち鳴らす。

 ふだんは人口2、3千人の町がこの祭りの時期にはその10倍以上もの人々でごったがえす様は、まさに壮観の一語に尽きる。徳島の阿波踊りのような、狂気を取り囲む統制のようなものはここには存在しない。

 外国からの観光客も多く集まり、ビール片手にみんな大いに悪ノリを楽しんでいる。オランダ人のグループだろうか、平均身長1メートル90センチぐらいの4人の大男たちが、インディアン帽をどこからか借りてきて、ワーワー言いながら踊っている。

 オーストラリアの女の子たちが、小さな太鼓を叩いてはしゃぎ回り、若いイギリス人のヨッパライが「マギー・サッチャーの政策なんか役に立つもんか!クソ食らえ、イングランド!」などと、ひとりワメキながら千鳥足で歩いている。

 また、スイスのカップルが地元の人たちと肩を組んで、「ビバ、フィリピン!」と叫びながら行進している。

 こんな風にして、この狂気の祭りアティアティハンは盛大に盛り上がっていく。地元の人たちも、外国からの観光客も、みんな和気あいあいと心から楽しげだ。

 ホント、このフィリピンという国からコソ泥の類が少なくなれば、まだまだ未発達の国ながら、この国ほど楽しく旅行ができる国は少ないであろう。

 ビールの酔いも手伝って、オレとジャックは終始ご満悦。現代人にはこの手の自分を完全に解き放てる場所が必要だ、と、ふと日本でのサラリーマン生活を思い出して、考えさせられた一日だった。

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