1987年2月D日

しかしこのいいことずくめのような国シンガポールにも、思わぬ落とし穴は待っている。以下はベンクーレンストリートの宿で会ったある若い日本人旅行者から聞いた彼が実際イカサマに見事にハメられた経験談である。
同じ宿で一緒になった他の日本人バックパッカーたち数人も一緒に聞いていたが、みんな完全に圧倒された内容だった。
極めて風変わりでスケール壮大な話ゆえにわかに信じ難いものの、実話なので多少長くなるが彼が陥った大きな罠の顛末を小説風にしっかりと紹介したいと思う。
<メモ>
〔注意〕この経験談の主語の「オレ」はその20代の若い日本人男性旅行者であり、筆者ではない。そんな話ホンマかいな???と筆者も当初疑ったが、彼が自身の恥になるようなことを嘆きと怒りを表しながら事細かく話す様から、また彼がオレや周りのバックパッカーたちを騙す必要性もなく、本当に起こったことに間違いないようだ。ちなみに筆者はギャンブルには詳しくないため、ギャンブル上のルール説明にはいくぶん頼りない部分があるかもしれないことはご容赦いただく。またここでのドルはシンガポールドルではなく米ドルである。
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いまだに思い出すたび腹が立つあのマカオのツルッパゲルーレット。やった!入った!と思った次の瞬間、23番の枠からスルっと飛びだしたあのボールを恨んであの夜は眠れなかった。
あれさえ入っていれば、それまでに負けた1,500ドルを一挙に帳消しにできたのに・・・・。結局オレはあの夜、カジノで2,000ドルもの大損失を出してしまったのだ。
サラリーマンを2年やったが、どうしようもなく自分がバカに見えてきて、奮起一発、世界一周旅行を思いたったのが6ヶ月前。あれから残業を増やしながら英会話学校へ通うというシビアな生活だった。
ようやく1万2千ドルというカネを貯めて、やめてくれと泣きつく両親を3週間かけて説得した。彼らには1年の予定だと言っておいたが、オレは最低2年は日本に帰るつもりはない。
香港・マカオは韓国と台湾に次いで寄った地域だったが、まだ始まったばかりで、オレの前途洋々の旅はとんだミソを付けられたことになってしまった。
それにしてもあのルーレットめ。マカオのリスボンホテルの前を通りかかった時、人生たまにはカケも必要だなどと思って、ついついその中のカジノへと足を踏み入れたのがそもそものマチガイだったのだ。オレはクサりきった思いで香港・マカオをあとにして、ここシンガポールへと降り立った。
シンガポールは美しい町だ。香港はビクトリアピークからの眺めは最高だが、一歩足を路地に踏み入れれば、どうしようもないような汚さに出くわすことがたまにある。だが、ここシンガポールではどこを歩こうが汚いという印象を持つような箇所を見つけるのは容易ではない。
しかし、チャイナタウンやインド人街あたりはそこだけ時間が30年くらいさかのぼったかのように薄汚い。美しい町に飽きて、元来キワモノ好きの自分にはこういう場所の方がむしろリラックスできる。
着いてから3日間くまなく町中を歩き回って、ほぼこの町の見るべきところを見終えていたオレは、4日目のお昼時、さあチャイナタウンでシューマイでも食べるか、と炎天下の中セントラルパークを南へ下った。
高層ビルの一階。テーブルと椅子をフロア一面にズラっと並べて、その周りをラーメン屋やらフルーツジュース屋やらテンプラ屋やらの数々の小さな店が取り囲むというシンガポール独特の共同食堂(ホッカーセンター)で、焼メシとシューマイとオレンジジュースの昼メシを済ませたオレは、何をするともなくそのままのテーブルでコーラを飲んでいた。
コーラが空になって、そろそろまた歩き始めるかとしようとした時、マレー人か中国人かよくわからない中年の男が同じテーブルに座った。そして、男は親しげに、「日本人だろ?」と、オレに話しかけてきた。
「うん・・・。」
「旅行かい?それとも仕事で?」
「いや・・・、ただの旅行だよ。」
「シンガポールはいいとこだろ?東南アジアの他の国よりか抜群にきれいだ。」
「ホント、この町が気に入ったよ。」
オレは一人旅の淋しさも手伝って、この親しげな男と気軽に言葉を交わした。
「動物園とかジュロンバードパークとかセントサ島とかは行ったのかい?」
「うん、もう4日目だから、だいたいのところは回ったよ。」
「これからどうするんだい?」
「いやべつに・・・・、またこのチャイナタウンでも回って、Tシャツでも買おうかと思ってるところだよ。」
「そうだな、シンガポールは美しいところだが、あまり刺激がなくて少し物足りないかもしれないな。」
真顔でオレのことに気遣ってくれるこの男とオレは完全にうち溶けて、ヒマなことも手伝って知らず知らずのうちにマカオのカジノでの失敗談を話していた。
「・・・ほう。それは不運だったね。だけど、あんた。ギャンブルでもうけようなんて考える方が間違ってるよ。」
「それは・・・・、そうだけど・・・。」
「ただし・・・、まあ手はあるけどな。」
「えっ?」
「それもやりようにやっては勝てるってことさ。」
「どういうことだい、それ?」
「イカサマだよ。」
「・・・・イカサマ!?」
「そうさ。あんたやったことないのかい?」
「・・・そんなの・・・・ないよ。」
「ふうん、じゃあよかったら、イッチョ、オレとやる気あるかい?絶対にもうけさせてやるよ。この前も日本人の旅行者、えーっと名前はヤマシタとかいったっけな。彼に5,000ドル勝たせてやったよ。」
「・・5,000ドル!」
「ああ、あいつもあんたのような旅行者だったけど、あのあとラフルズホテル(シンガポールで1,2を争う超高級ホテル)の最高級クラブで二人で豪遊して楽しんだもんだよ。あいつはそのあとバンコクでもう一度豪遊するんだとかいって、喜び勇んで飛んでいったよ。」
「へぇ・・・、それそんなに簡単なのかな・・・・?」
「カーンタンだよ。いいか・・・・、」
この男はこうしてブラックジャックのイカサマのやり方を以下のようにすると説明した。
ふつうブラックジャックは親(ディーラー)と客とが勝負をするが、このゲームに親はゲームに参加せず客同士が対戦する特異なもの。
この男が親になり、オレがもうひとりの賭け手(カモとなる人間)はそれぞれ親から配られた札が21により近づくようにする。もちろん合計が22以上になれば失格となる。
そしてイカサマとは親となる自称カードの天才というこの男が、オレの対戦相手の札の数字をなんらかの方法で確認し、オレにブロックサインのような暗号をもって教えるというものだった。
リハーサルといって男がその場でその暗号をやって見せてくれたが、けっこう簡単ながら案外バレそうにもない。
「どうだ、なかなかのもんだろう?」
「・・・ふぅん、・・・・でも、あんた、ホントに大丈夫なのかい・・・?」
「大丈夫。言っただろう、オレは前にヤマシタとかいう男にさんざん勝たせてやったって。そいつだけじゃない。他にスギモトやらナカイとかいうのも大いに稼がせてやったんだよ。もう捨てたけど、やつらはあとで絵葉書さえオレのところによこしたぐらいだぜ。いっちょここはオレに任せておきなよ。絶対に儲けさせてやるから。なっ?」
男は笑顔で、あくまで強気かつ楽観的である。
「あんた、マカオの貸しをどこかで取りかえさなきゃいけないんだろ?」
「・・・・・・・。」
オレは決めた。マカオで負けた時は、もう二度とバクチなんか、と思ったが、絶対に勝てるというのなら話は別だ。この男との出会いはそれほど自然なものではなかったが、オレの目にはこの男を信用してもよさそうに映った。
「で、いつやるんだい?」
「おう、やる気になったかい。よし、ちょっと知り合いのところへ電話を入れてみる。彼女が場所とあんたのカモを捜してくれるはずだ。じゃあ、ちょっと待っててくれよな。」
男はそう言って、オレの肩をポンと叩いて公衆電話の方へと歩いていった。
絶対に勝たせてやる、・・・・。か、不安もあったことは否めないが、オレの頭の中はすでにマカオの負けを取り返し、この町の最高級ホテルのラウンジで待っているであろうウルトラ美人ホステスのことに思いが回り込んでいた。
そういうところで働く女の子とはどんなのかな、中国人の娘かな、マレー人の娘かな、それとも白人の女の子かもしれないな。などとつまらないことを考えているうちに、例の男が帰ってきた。
「よし。オレのガールフレンドのところへ行こう。まあそこで冷たいものでも飲めよ。あんたのカモは今日の夕方現われるはずだ。それまでこんなクソ暑い共同食堂ですごすなんてバカらしいだろ。なあに、オレのガールフレンドの家だ。何も気がねしてくれる必要はない。さあ、行こう!」
オレは下から肘を持ち上げられ腰を上げた。どうにかなるさ。そう自分に言い聞かせて、オレと中年男は日本製のタクシーに乗り込んだ。
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