1987年2月D日

香港ガモが帰ったあと、オレは中年男の胸ぐらをつかまんばかりの剣幕で怒鳴った。
「おい、あんたは絶対に勝てるって言ったじゃないか!最後の5回目の勝負のうち、なんで3回もオレが見間違えるような暗号を送ってきたりしたんだよ!?ええ!??
オレの4千ドルはいったいどうなるんだい?あれはオレの全財産なんだぜ!いったいどうしてくれるんだ!?」
中年男は少し雲った表情になったが、
「今夜は残念だった。すまない。こんなことは、本当にいままでに一度もなかった。額が大きくなったのと、疲れがオレの手元を狂わせてしまったみたいだ。いや、あんたには気の毒に思う。
だけど、オレの方の損害のことも考えてくれ、オレも6,000ドルのカネをなくしてしまったんだぜ。」
と弁明する。
「あんたの損なんてこっちの知ったことじゃあない!あんたは、絶対に勝てるっていったじゃないか!」
「まあそういうなよ。今度の香港では絶対にうまくやれる。今夜は少し長く勝負をしすぎた。この次は時間を限定してやることにしよう。この次はまかしといてくれ。・・・なっ?」
オレはすっかり逆上していたが、今となってはもう一度香港での勝負に賭けてみるしかない。さもなければ、これからの二年の旅の予定が大幅に制限されることになってしまう。いまはただこの男をもう一度信じて、リターンマッチにすべてを託すだけだ。オレは平静を取り戻そうと努力した。
中年男は言った。
「あんたもうカネがないんだろう。香港までのエアチケットは200ドルだな。それまでシンガポールでの滞在費は5日分で200ドルでいいだろう。合計400ドルほら持っていけよ。」
こう言って、彼は400ドルをオレに手渡した。
1週間後。
香港ペニンスラホテルの一室。さすが香港No. 1との評判にたがわず、この部屋はオレのような安旅行者にはもったいないほどの豪華さである。窓からは対岸の香港島の摩天楼群が暗闇に浮かび上がって見えている。
その上のビクトリアピークの灯かりもやけに鮮やかだ。あのクソッタレルーレットのあるマカオは数十キロ西の方角にあるがここからは見えない。もし見えたとしても、そちらの方へ目を向ける気にならないだろうが。
約束の午後7時まであと3分。まだオレの部屋の電話器はじっとしたままだ。念のためにとオペレーターに自分あてに電話が必ず入ると告げておいたし、この香港では電話が不通になることなどまずありえない。オレは窓の外と電話器とを10秒おきに交互に見つめて、中年男からの電話をただ待った。
7時。電話器はうすい黄色のプラスチックで外装されている。オレはそれが女性ならば、相手がイチコロにまいるだろうと思えるほど熱い視線を送り続けている。心なしか電話器の色が黄色から赤に変わってきたのではないかと思った。それがバカな夢想だと気がついた時、時計は午後7時25分を指していた。
午後8時、オレはたまりかねてオペレーターにオレあてに電話は?と尋ねてみた。彼女はノーという。イヤーな予感がオレの頭をかすめる。
ベッドに寝転んで、天井を見つめる。なんで中年男は電話してこないのか。
今まで何百回となく繰り返してしたが、もう一度あの中年男との出会いから今までを順を追って思い起こしてみる。
あれはこうだ。しかし、これはああだ。彼はこうした。だけど、彼はこれもこうした。彼は正直に見えた。しかしうまい芝居をされたのかもしれない。
うとうとしてそのまま寝込んでしまって、寝覚めたのが夜の11時。このときやっとオレはイカサマに騙されていたことを認識した。
顔から血の気が引いた。そして頭の中のもう一人のオレが冷静ながら見下したように、バカだったな、とつぶやいた。
でも、なぜ?なぜ?
2日後、オレは香港をあとに再びシンガポールへと飛んだ。心の中では自分は90パーセントまでハメられたと思う気持ちがある。しかし残りの10パーセントに、まだ正直そうなあの男を信じる気持ちが残っている。
あの夜、香港でやつが電話してこなかったのは、何か深い理由があったからに違いない。オレはシンガポールじゅう、あの夜の勝負が行なわれたガールフレンドのマンションを血眼になって捜した。
シンガポールへ帰って3日目、植物園の近くを通った時。
あった!あのマンションに違いない。エレベーターで階上へと上がると、ドアの感じも同じ。あの夜のあの場所だったことを確認した。
しかし、時刻はすでに午後8時半を回っていた。このまま踏み込んでも銀行が開いていないとかの理由で、やつらにカネを出し渋られるかもしれない。やつらに会う理由は、あくまであの夜に失った最後の4,000ドルを奪い返すことにある。それが不可能になるような事態は避けねばならない。オレは明朝一番で乗り込むことにした。
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