東南アジア– tag –
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D)東南アジア
D-16 ど熱いマニラのエルミタの夜 パート2/2
1987年1月C日 歓楽街といっても、ひとつ路地へ入ればエルミタの夜は暗い。デルピラストリートの一本西の小さなストリートは灯かりも少なく、地面に何が落ちているかもわからないほどだ。そんな暗い通りをぶらぶらと約10分歩いたあと、オレは角の小さな... -
D)東南アジア
D-15 ど熱いマニラのエルミタの夜 パート1/2
1987年1月B日 フィリピンでは英語が公用語になっているため英語を話す人がきわめて多く、地元の人々と交わすコミュニケーションが楽しい。シングリッシュと呼ばれるシンガポール人の話す英語よりもよりふつうの英語使いが多く、話がしやすい。 また1... -
D)東南アジア
D-11 シンガポールの安宿=バックパッカーの安息所&密輸人の隠れ家
1986年12月D日 コタバルの宿の中国人マネージャーがシンガポールの宿ならここへ行けばいいよ、と教えてくれたベンクーレンストリートの宿は、彼の言葉通り非常にリラックスできるところだった。 ここは個室はなく、すべての宿泊客はドミトリー式の部屋... -
D)東南アジア
D-10 モンスーンのマレー半島東海岸から休息の場シンガポールへ
1986年12月C日 ペナンからコタバルへとマレー半島北部を西から東へ横断したあと、東海岸添いに南下した。オレはこのあたりで旅疲れがかなり溜まりきっていて、どこかひと休みできる場所を捜していた。だが、どうもマレーシア国内ではそれは難しいと判断... -
D)東南アジア
D-02 東洋のベニスでのアーニャとの再会はまたしても災厄に
1986年11月B日 バンコク二日目の朝11時、電話を入れると、アーニャは手紙で教えてくれたとおりのホテルに泊まっていて、オレたち二人は待ち合わせの場所を決め、さっそくバンコクの街へと繰り出した。 が、彼女はどうも調子がいまひとつ悪そうである。... -
B)カラーサ
B-67, 68 西オーストラリア州を去る, ヨーロッパへ行く-その理由
1986年8月B日 西オーストラリア州を去る アヤコさん始め自分が知ってるワーキングホリデイのパース滞在者はもうみんな数ヶ月前に日本へ帰っていない。あの自由な日々を過ごしたノースロッジに知り合いもいなくなり、PTCの先生、スズキ氏はじめ、以前...
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