1986年11月A日

オーストラリアを出る11月9日の数日前、オーストラリアで最もお世話になったパースにいるノリさんにこの国を出ることを伝える電話を入れた。
驚いたことに、当時オレのオーストラリアでの住所はノリさんのお宅の住所をお借りしていたのだが、彼が言うのはなんとオレの税金の還付金1,000豪ドルが政府発行の小切手で届いているとのことだった。
<メモ>
オーストラリアで正規に仕事をした人は条件を満たせば税金を還付されることがある。
ノリさんにお願いして、シドニーのオレの手元まですぐに送ってもらったが、届いたのがオレの出発日の前日。すぐ自分の口座のある銀行までその小切手を持っていって現金化しようとしたが、残念ながら彼らは審査に丸一日かかるという。
オレ自身は明日の朝から空港へ行かねばならない。だが、ありがたいことに誰か確かな第三者に委託すれば、銀行はその「政府発行のオレあて小切手」から「その銀行発行のオレあて小切手」に作り直すことが可能とのことだった。
オレは迷うことなくヨリコさんに委託することにし、彼女もそれに快くオーケーしてくれた。オレの預金通帳とキャッシュカードを彼女に手渡し、いずれオレが東南アジアなりヨーロッパなりから送り先を連絡し、そこへその銀行発行の小切手を彼女から送ってもらうことになった。
出国間際にバタバタとしたことになったものの、それほど難しい問題を残すわけではない、とこの時点のオレは甘い認識でいた。
だが、この甘さがその後ヨリコさんに大迷惑をかけることになり、数か月先にオレの旅程にとてつもなく大きなトラブルの種となることを、この時点のウルトラバカなオレは全く知らなかった。
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