1986年12月C日

ペナンからコタバルへとマレー半島北部を西から東へ横断したあと、東海岸添いに南下した。オレはこのあたりで旅疲れがかなり溜まりきっていて、どこかひと休みできる場所を捜していた。だが、どうもマレーシア国内ではそれは難しいと判断し、オレは一路シンガポールを目指すことにした。
たった一人長旅をする者にとって、すべての緊張から開放されてほっと一息つける宿というのはそれほど簡単に見つかるものではない。すべての宿泊をシェラトンやヒルトンクラスのファイブスターのホテルでまかなうのであれば話は別であるが、オレたちのように一日7~800円で生きている安旅行者には、コソ泥やイカサマ師に気をつかわず、静かで落ち着いて旅について相談できる宿というのは、なかなか巡り合わないものだ。特に東南アジアでは。
コタバルからクアンタンまで、海岸添いにひたすらヤシの木ばやしを見ながら走る。マレー半島西岸のペナンではよい天気が続いたが、こちらの東岸はモンスーン(季節風)のシーズンとかで空は曇りがち。ビーチも波が高く、砂浜には濁り水がおし寄せている。天気さえもこの国に留まる理由を奪ってしまったようだ。
クアンタン、コタバルという名は、第二次大戦開戦時を書いた本に真珠湾攻撃とともに頻繁に出てくる極めて興味深い地名であるが、いまの自分にはそれらを調べる資料など見つけられない。いまは下調べして再び帰って来る機会あることを祈るしかない。
ペナンを出て、まだわずか3日目にしてオレはクアンタンでシンガポール行きのバスの切符を買った。
大陸マレーシア(マレーシアはボルネオ島にもサバ地方とサラワク地方という広大な領土を持つ)の最南端の町ジョホバルで出国手続きを済ませ、驚くほど短い国境のコーズウェイ橋(実際は約1,000メートルの長さ)を渡る。
第2次世界大戦初期、日本陸軍がタイ最南部からマレー半島を南下して英国軍(その多くはオーストラリア兵だったというが)を追い詰め、英国軍との死闘の舞台となったというこの橋付近も、いまは列車、車、人間がごくごく自然にあたかも同じ国の中を移動するかのように平和に行き交っている。
移民局窓口でシンガポール入国のスタンプをもらってバスに帰る。バスが走り出し、そして不思議なことだがそれまでオレにまとわりついていたうだうだとした緊張感は文字通りきれいに吹き飛んでいった。
シンガポール。ここは南北両回帰線にはさまれた世界中の国々の中で、おそらくもっとも美しく、清潔で、生活水準が高く、政治的、経済的に安定した国ではないだろうか。
オーストラリアへ行く前に3泊したため今回で2度目のこの国だが、改めてこの国がこの東南アジアという地域にあっていかに特別な国であるかがわかる。
バスは総幅員50メートルはあろうかと思われる美しい街路を進む。両側にはモダンな十数階建ての高層住宅とこぎれいな店が並び、木立が歩道を歩く人々に心地好い影を投げかけている。
バスは整備状況バツグンの高速道路を一路南下して、ダウンタウンへと向かった。
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