東南アジア– tag –
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G)イスラエルとエジプト
G-06 29歳の誕生日-帰るべきか否か・・・
1987年3月F日 今日は29回目の誕生日。 とうとう30歳に王手がかかってしまった。これで3年連続で誕生日を外地で迎えたことになる。 いざ王手がかかると心の中の一人のオレが、「おい、そろそろ帰り時じゃないのか?」と呼び掛けてきた。日本で職を見... -
D)東南アジア
D-30 「Big Japan !」
1987年2月G日 いろんな人たちがいて極めてコスモポリタンだったシンガポールのベンクーレンストリートのホステルにさよならして、バスでマレーシアのクアラルンプールへ移動した。あと数日でいよいよロンドン行きのフライトだ。 11月初めからここマレ... -
D)東南アジア
D-29 孤独な日本人バックパッカーそして日本の国
1987年2月F日 東南アジアの他の国々ではあまり見かけない日本の若いバックパッカー旅行者だが、ここシンガポールのベンクーレンストリートの宿街ではたくさん見かける。彼らの旅行案内の本にこの通りの名前が出ているのかもしれない。 いまのホステル... -
D)東南アジア
D-28 さらにまだあるペテン経験談 2/2
1987年2月E日 陽の光がようやくその勢いをなくし始めたころ、ジェリーがオレに言った。「フランク、オレたちはこれからトランプでゲームをしようということになったんだが、どうだ、一緒にやろうや。」「ええ?トランプかい?」「ポーカーだ。知ってるだ... -
D)東南アジア
D-27 さらにまだあるペテン経験談 1/2
1987年2月E日 シンガポールでの日本人男性の御難を紹介したついでに、もうひとつ東南アジアで聞いた話を紹介する。 主人公はシンガポールのベンクーレンストリートの宿で会った20代後半のデンマーク人男性で、彼が受難した場所はフィリピンのマニラ。... -
D)東南アジア
D-16 ど熱いマニラのエルミタの夜 パート2/2
1987年1月C日 歓楽街といっても、ひとつ路地へ入ればエルミタの夜は暗い。デルピラストリートの一本西の小さなストリートは灯かりも少なく、地面に何が落ちているかもわからないほどだ。そんな暗い通りをぶらぶらと約10分歩いたあと、オレは角の小さな... -
D)東南アジア
D-15 ど熱いマニラのエルミタの夜 パート1/2
1987年1月B日 フィリピンでは英語が公用語になっているため英語を話す人がきわめて多く、地元の人々と交わすコミュニケーションが楽しい。シングリッシュと呼ばれるシンガポール人の話す英語よりもよりふつうの英語使いが多く、話がしやすい。 また1... -
D)東南アジア
D-11 シンガポールの安宿=バックパッカーの安息所&密輸人の隠れ家
1986年12月D日 コタバルの宿の中国人マネージャーがシンガポールの宿ならここへ行けばいいよ、と教えてくれたベンクーレンストリートの宿は、彼の言葉通り非常にリラックスできるところだった。 ここは個室はなく、すべての宿泊客はドミトリー式の部屋... -
D)東南アジア
D-10 モンスーンのマレー半島東海岸から休息の場シンガポールへ
1986年12月C日 ペナンからコタバルへとマレー半島北部を西から東へ横断したあと、東海岸添いに南下した。オレはこのあたりで旅疲れがかなり溜まりきっていて、どこかひと休みできる場所を捜していた。だが、どうもマレーシア国内ではそれは難しいと判断... -
D)東南アジア
D-02 東洋のベニスでのアーニャとの再会はまたしても災厄に
1986年11月B日 バンコク二日目の朝11時、電話を入れると、アーニャは手紙で教えてくれたとおりのホテルに泊まっていて、オレたち二人は待ち合わせの場所を決め、さっそくバンコクの街へと繰り出した。 が、彼女はどうも調子がいまひとつ悪そうである。...
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