1987年3月C日

このモシャーフ、スデ・ニツァンは総面積約180ha(ヘクタール)で、甲子園球場が46個入るサイズ。イスラエル南部のネゲフ砂漠の真っただ中に人工的に造られた田園地帯にあり、メンバー約60の農家で構成されている農業中心のモシャーフだ。各農家はそれぞれ約1.3haの土地を割り振られ、残りの約100haが共同使用されている。
当初、このモシャーフの設立に際しては、イスラエル政府が強力に後援し、ほぼすべてのお膳立てをしたという。不毛な砂漠の地盤を整備し、道路、オフィス棟、水道管、下水道管といったインフラストラクチャーを整備し、そしてモシャーフ内の全家屋を建て、また各メンバーにグラスハウスを二つとビニールハウスを一つずつ建てたという具合。
つまり、あとは人が住んで作業を開始するだけというところまで政府がすべて面倒みたということだ。
当初、スデ・ニツァンの創設期のメンバーたちは、政府からローンでこの農場を買ったが、なんとその金利が年率2%で50年返済という好条件。このスデ・ニツァンがスタートして十数年、一時期には年率400%を越えたというこの国のインフレのすごさは、この借金をすでにまったくなきに等しいものにしてしまったことだろう。
もともとここはエジプト(長年イスラエルと戦闘を続けてきた南の隣国。1979年以降イスラエルの友好国となる)とガザ地区(イスラエルとエジプトの国境近くの地区。イスラエルの統治領土であるがアラブ人が多く、ここのアラブ人住民はイスラエルからの独立を要求している。ヨルダン川西岸地区と並ぶパレスチナ問題の的ともいえる地域)とに近いため、危険を恐れ来る人がいなかった。
そのため、この地への植民奨励策の一環として、政府はいたれりつくせりの好条件でこのモシャーフ、スデ・ニツァンをスタートさせたのだろうが、これでは借り手つまりこのモシャーフがあまりにも有利になり過ぎて、政府が気の毒なほどである。インフレというのは教科書にある通り、やはり恐ろしいと言わざるをえない。
ちなみにこのスデ・ニツァンは田園地帯の中にあり、都市部からかなり離れたところに位置している。一番近くにベエルシェバという町があるが、カネのない我らボランティアは誰も行かない。
そのためオレたちボランティアはずっとこのモシャーフの農場域内だけで生活することになり、行き来する自由はもちろんあるものの、外の世界はほぼまったくわからない日々が続く。
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