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G)イスラエルとエジプト
G-47 バナナ畑と雑草とやぶ蚊
1987年7月D日 このラモットでも夏の朝は早い。朝5時半に起床し、午前中は6時から11時まで。長いシエスタのあと午後は3時から6時までというスケジュールでの勤務体制である。 ここへきてはや10日が過ぎたが、ここ数日かなりヘバリ気味だ。暑さ... -
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G-46 2つ目のモシャーフ「ラモット」とは
1987年7月C日 モシャーフ、ラモットはゴラン高原の南端、ガリラヤ湖の東側の山の斜面にある。スデ・ニツァンより少ないファーマーの数ながらスデ・ニツァンよりやや広い耕地面積を持ち、フルーツを中心に栽培する農業モシャーフである。またラモットは副... -
G)イスラエルとエジプト
G-45 エルサレムからバスでティベリア経由ラモットへ
1987年7月B日 テルアビブを出て、興味の尽きない町エルサレムにたった一泊しかできなかったことに後ろ髪をぐいぐいと引っぱられながら、ラモットへ行くために途中の町ティベリア行きのバスに乗り込む。 ほんとうはキリスト教、ユダヤ教、イスラム教が... -
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G-44 行き先は北部ゴラン高原へ
1987年7月A日 テルアビブの電話局からノルウェーの魚工場へ国際電話を入れた。10米ドルも払ってのトライだったが、「ごめんなさいね、ちょっといまは無理です。8月中頃には空きがあるかもしれませんが・・・。」との向こうの女性事務員の返事。 あー... -
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G-43 スデ・ニツァンを出る決心
1987年6月H日 スデ・ニツァンへは帰ってはきたものの、やはりここはもう出た方がよさそうだ。 スペイン、ポルトガル、ドイツといった国からのボランティアが増え、英語圏の人間が相対的に減って、スデ・ニツァンもぐっとコスモポリタンになって来たこ... -
G)イスラエルとエジプト
G-42 ポルトガル人と人種差別主義的スイス人
1987年6月G日 オレがエジプトに行っている間にこのスデ・ニツァンにやってきたポルトガル人ボランティアのジュアンという男と仲良くなった。やつはショートーカイとかいう空手の道場に通って黒帯を取り、全ポルトガルのチャンピオンにまでなったとかで、... -
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G-41 スデ・ニツァンに戻る、が、運命の女神はいまだ微笑まず
1987年6月F日 文字どおり極めていみじき2週間余りのエジプト旅行を終えてイスラエルに戻り、再びモシャーフスデ・ニツァンへと帰ってきた。だが、運命はいっこうにオレの方へはなびいてこない。 フィリピンの日本大使館から待ちに待った手紙が届いて... -
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G-36 オアシスと下痢とブルース・リーその2
1987年6月B-2日 だが、このエジプトではどっこい物事は普通の展開にはならない。オレが100メートルほど歩いたところで、そのうちの何人かが自転車に乗って追いかけてきて、歩きながらまたあの手の質問を始めた。 「カラテとボクシングではどっちが強... -
G)イスラエルとエジプト
G-35 オアシスと下痢とブルース・リーその1
1987年6月B-1日 夕べから始まった下痢のおかげで、今日はまる一日中カルガオアシスのホステルから出れず、トイレとベッドの往復に終始した。 バンコクで買った正露丸を飲んだが、まったく効き目なし。日本にいた時はあれを飲めば次の日にはうそのよう... -
G)イスラエルとエジプト
G-31 エジプトでの信じられない日々の始まり
1987年5月K日 イスラエル最大の都市テルアビブからエジプトの首都カイロまでのバスは特に見るものもなくただ砂漠を越えていくだけ。砂と有刺鉄線とをずっと眺めたあと、昼食のためドライブインのパーキングにバスは止まった。 少し疲れてぼーっとしな...