1987年3月A日

「スデ・ニツァン」というモシャーフに来て3日目。
オレがこのモシャーフに来れたのは非常にラッキーだった。ハイファの港から入国したゲートのすぐその外で、このモシャーフのボランティア募集の責任者ノアがゲートから出てくる各旅行者に声をかけてボランティアをリクルートしているところに出くわした。
話を聞くと、給料、宿泊施設などの基本的条件はそれまでに仕入れた一般的なモシャーフの条件と何ら変わりはなく、むしろそれを上回っているようでもあった。それに、ハイファから彼女たちの車でここまでそのまま連れていってくれるというおまけ付き。オレは拒否する理由などあろうはずもなく、そそくさと彼女の車に乗り込んだのだった。
ここでのオレの住まいはキューブと呼ばれるコンクリート造りのボランティア居住区の第1号室。一部屋に2人住まいで、ひとつのキューブに二部屋、合計4人の共同生活である。
総計80人ほどいると言われるこのモシャーフのボランティアのうち60人ほどがこのキューブに住み、残りの20人ほどが、モシャーフに隣接するゾハーと呼ばれる政府が経営する居住地区に住んでいる。
キューブの住み心地そのものは文句なく快適だ。二部屋の寝室(8畳くらいの広さ)の他に、バスルーム(シャワーとトイレ)と小さなダイニングキッチンがあって、お湯もソーラーシステムから24時間熱いのが供給される。
2人部屋というのはやはりわずらわしいが、ぜいたくは言えない。なにせオレの今の持ち金はたったの110米ドル。もし今ごろヨーロッパにいたら、大使館へ飛び込んで、お助けを請いに行かねばならないフトコロ具合である。
ここでの基本的な労働・居住条件は、1日8時間、土曜日(イスラエルの主要民族ユダヤ人の安息日)を除く週6日間労働で、月収が350シェクル(イスラエルの通貨。だいたい1.5シェクルが1米ドル)というもの(この条件はイスラエル国内のモシャーフではすべて同じだという)。キューブの賃貸料や光熱費は無料だが、食事は自分たちで調達、調理しなければならない。
福利厚生として、テニスコートがいつでも好きな時に使用でき、夏にはプールがオープンし、毎週土曜日の夕刻には映画が鑑賞できる。そしてそれらすべてが無料である。
日本の大企業並みとまではいわずとも、この条件、旅先で「拾った」働き口としてはやはりいとありがたしとすべきであろう。もちろん、これでもう少し給料が高ければ言うことはないんだが。
相部屋のジェフはキプロス出身の27才。父親がイギリス人、母親がキプロス人で、キプロスとイギリス両方のパスポートを持つ。ここへ来る直前までロンドンに7年間住んでいたそうだ。早口だが、なかなかわかりやすい英語を話す。一緒に住むには問題のなさそうな男に見える。
隣りの部屋のジョンはオランダ人の29才。長髪、ヒゲ面、きたない身なりと、典型的なヒッピーだ。オランダでは恒久的な失業者で、マリワナとハッシを売ったカネと失業手当とで生きてきたという陽気なやつだ。
もう一人はロイ。スコットランド出身の21才。スコティッシュと聞いて、またどうしようもなく難解なアクセントの英語を話すのかと思ったら、オレたちにかなり気をつかってが、人前ではわかりやすくしゃべっている。物静かなやつだ。
それぞれ違った背景を持つ4人だが、カネをほとんど持ち合わせていないという一点では完全に一致している。4人のこのモシャーフへ来た時の持ち金がオレが110米ドル、ロイが200米ドル、ジェフが50米ドル、そしてジョンがなんと3米ドルだったというから驚きだ。ビンボー4人組、揃って仲良しこよしでいかねばと思う。
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