1987年4月J日

ゆうべ、キューブの9号室でボランティアのパーティがあった。ハイファから同じ車で一緒にこのモシャーフへやってきたニュージーランド人のマークとキャスが来いよ、というので覗いてみると、それはジョンという若いイギリス人)の誕生パーティだった。
イギリス人の男にはジョンというファーストネームを持つやつが驚くほど多い。聞くところでは全体の1/4から1/3の男がジョンじゃないかと言われている。
少し遅れて入っていくと、たて5メートル、よこ3メートル半ぐらいの小さな部屋には二十数人がひしめき座って、大おしゃべり大会だった。このうち大英帝国以外の国から来た人間はオレただ一人だ。
カナダ人が一人、南アフリカ人(南アフリカの白人の55%はアフリカーンズというオランダ語系の言語を話すが、残りの45%が英語を母語としているという)が一人、そしてニュージーランド人のマークとキャス。カナダ、南アフリカ、ニュージーランドともに大英帝国の一部だった国々だ。
そして残りがすべてイギリス人(イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの各国出身者)という極めて非コスモポリタンな世界だった。
この中東の地、イスラエルの南の端っこの農場でなんでこんなに同種の人間ばっかりに会わねばならないんだろう。
彼らを横からぼーっと観察していると、ハテ彼らはいったい何のためにはるばるここイスラエルまでやってきたんだろうと思う。ノルウェーに行ったイギリスの黒人の女の子ジェリーは、みんなイギリスで職にあぶれてここへやってきたと言っていたが、彼らを見ていると、仕事なんてどうでもいいや、オレたちはただ長い修学旅行(外国に修学旅行の習慣があるとはあまり聞かないが)をしにきたのさ、とでも思っているかのように見えてくる。
ボランティアとして働くとはいえ、住居と給料を与えられれば、それ相当の緊張感をもって生活してもよさそうだと思うのは、働き中毒の国から人間の「特殊な」見方なんだろうか。いまだに彼らの中にはうまく溶け込めない。
| <前のページ> | <次のページ> |
コメント