E-15 ヒースロー空港の収容所/日本大使館員との必死の対話

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1987年2月B日 ヒースロー空港2日目の6

大使館員, 電話

 午後4時を過ぎたころ、拘留室の電話が鳴った。近くのやつが応対した。
「ミスターハルナっているかい?」
 オレにだった。

「もしもし、ハルナさんでらっしゃいますか?」
 滑らかな日本語が受話器から流れてきた。
「はいっ!そうです。」
「こちら日本大使館の◯◯と申しますが、守衛の鈴木さんからお伺いして、お電話さしあげたんですが・・・。」

 やった!さすがはロンドン大使館だ。なんというきちんとした対応であろう。オレはあたりをはばかることなく大声をあげた。
「あっ、どうも!お休みのところ申し訳ありません。」

「いや、それは・・・、スズキさんから一応一通りお話しはお伺いしましたが、できましたらもう一度詳しくお聞かせ願えませんでしょうか。」
「はいっ!」

 オレは口からドドドと音を出してほとばしらんとする言葉をようよう押さえて、ところどころドモリながらも、このいまいましい事件の一部始終を一気に述べたてた。

 その間、先方はただふんふんと聞いている。オレは恐縮の様子をできるだけ慎重に作り上げて、マニラの日本大使館と連絡をとって欲しい旨、そしてオレの財産の存在を証明してもらいたい旨を丁重に伝えた。

 この若い大使館員はオレの話を一通り聞き終えると、「そうですか・・。」と、ひと言言ったのち、彼の思うところを話し始めた。
「たいへん御苦労されていらっしゃるようですね・・・・。」

 エリートの役人らしく、言葉を選びながら彼は話す。オレはじれったさをじっとこらえる。だが、この若い大使館員は言いにくそうにこう続けた。
「・・・・しかし、原則的に・・旅行者の方々のために大使館同士が連絡を取り合うということは許されておりません。それゆえ、・・・ちょっとフィリピンの方と連絡を取り合うというのは・・・当大使館としては・・・できかねますが・・・。」

 再び絶望のパンチがオレをジャブした。だが、オレは必死で食い下がった。
「原則的にですか・・・・?」
「・・ええ・・。」

「あのう、自分はいま収容所なるところに入れられているわけで・・・、そのあたりのその原則を一歩踏み出していただくわけにはまいりませんでしょうか・・・?」
「はあ・・・・、そちらが・・、たいへんな境遇にいらっしゃることは十分理解いたしておりますが・・・、それでもそちらはまだ英国政府の庇護のもとにいらっしゃるわけで、現在、生命や身体などには直接の影響はないと思われますので・・・やはり・・・。」

「・・・・なるほど、・・・そうですか・・・、ではフィリピンのことは結構です。じゃあ今度はロンドンの日本大使館が自分をここから出すよう、こちらの当局に直接お願いしていただくというわけにはまいりませんでしょうか?」
「こちらの大使館がですか・・・・?」

「そうです。日本の両親からは、お金がなくなればいつでも送金してもらえるような体制は整えてありますし、何回も申し上げますように、自分にはマニラの日本大使館にまだいくらかの財産があります。そのことをこちらの当局に、ロンドンの日本大使館からご説明していただけないか、と思うんですが・・・。いかがでございましょうか・・・・?」

 オレは最後の望みに食い下がった。受話器を持つ左手が震えた。
「はぁ、・・・それも・・・難しいですねぇ。といいますのも・・・、そういう入国審査というのはあくまで入国される側の政府がイニシアチブをとるものでして・・・、それについて外国政府がとやかく言うのは・・・いわゆる内政干渉に当たるわけでして・・・。」
「・・・・・・・。」

「そのォ・・・、当大使館としてはそういうこともまたしかねる・・・、ということになります・・・・。」
「・・・・・・・・。」
 この若い大使館員の選び抜かれた言葉の塊に、オレは出す言葉がない。

「ということは・・・、つまり・・・、日本大使館としては取り立てて、自分に対して何もしてやれない・・・・、ということになるんでしょうか・・・?」
「・・・はぁ、・・・残念ですが・・・。」
「キビシイですねぇ・・・・。」
「・・・・はぁ、どうも・・・。」

 鉛の塊になった受話器をもとに戻す。
 ガックリ。一瞬、頭がクラクラして、平衡感覚が永遠に狂ってしまいそうな錯覚が身を襲った。倒れるように座った椅子は、気持ちの分だけ重くなった体のおかげで、重いきしみ音をあげた。天井を見上げて、ふうっと長いため息。これで今度こそオレの脱出経路は完全に絶たれてしまった。

 しかし、これだけ八方手を出し尽くしてしまうと、やはりアキラメがきっちりとつくのか、この電話のあとは、むしろなんとなくスッキリとハートがキリンレモンを飲んだような感じになってきたことも事実だ。

 あの若い大使館員の言うことは理屈通りである。2年前までの納税者としては、彼らにむやみやたらと公費を使ってもらうわけにもいかないとも思う。

 ここで、オレは始めて、あの小切手について極めてうかつだった自分を責めた。あの時、シンガポールの友人の両親にハガキ1枚送ってさえいれば・・・・。

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