E16 ヒースロー空港から出る/パリ行きのフライト

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1987年2月C日 ヒースロー空港3日目そしてパリのシャルルドゴール空港へ

ヒースロー空港, 入国拒否, スタンプ, マーク

 当局からは、マレーシアなのか、パリなのか、それとも日本なのか、送還先についての連絡は何もない。

 パリに行けるようならもうけもの。それにマレーシアに帰されたとしても、シンガポールかバンコクに行けば、ヨーロッパ行きの切符など300ドルぐらいで簡単に手に入る。それに最悪の場合で日本へ帰されたとしても、むしろそれはそれでいいことなのかもしれない。

 ここで最悪の場合の日本行きを覚悟したことによって、オレのハートはやっとのことで鉛の鎧をほどかれたといえた。

 2日目の夜は、拘留室に隣接する簡易宿泊所が宿となった。4、5人用の部屋だが、だれもほとんど口をきかずに寝た。1日中小さな部屋で外出を許されずに過ごすというのは、想像以上に疲れるものである。あーあ、こんなところで寝るのは、絶対今日で最後にしたい。

 とっ捕まって3日目の朝がきた。心はようやく穏やかな状態に戻っていた。

 朝食後、マレーシア出国以来、これまでたまっていたアカを落とそうとシャワーを浴びた。

 スッキリして拘留室に戻り、この部屋の唯一の娯楽であるテレビを見る。20-30分ほどそのままおもしろくもなんともない朝のトークショーを見ていた。だが、ここでオレはどうしてももうこの部屋の雰囲気に馴染むことができなくなり、椅子を持ち出しひとり廊下に座って時間を過ごすことにした。

 部屋の中には明らかに腐っているという奴はおらず、みんながお互いをかばい合っている。それに最初の日、あの特別室で見たような悲劇をみることもない。しかし、彼らとは自分は一線を画していたいという、つまらないプライドみたいなものがごく自然にオレをそうさせたようだ。

 爪を切り、かばんの中をキチンと整理し、おそらく乗せられるであろう今夕のフライトまでの有り余る時間を、オレはできる限り静かに過ごそうとしていた。この部屋の監督官たちもオレのそんな態度に好感を持ったのか、少しずつ彼らの態度も軟化してきたようだ。

 ひとりの初老の監督官が言う、
「いまイギリスでは、失業というのがとても大きな問題なんだよ。それは他のヨーロッパの国々でも同じだが、このイギリスは特にひどいんだ。オレたちだってもしこの職を失えば、次の仕事を見つけるのは非常に難しい。日本から来たあんたには想像しにくいかもしれないが・・・。」
 これがここの政府の本音だろう。そのため非合法で仕事を得ようとする外国人は入国時に厳しくふるいにかけて、追い払わねばならないのだろう。

 シンガポールで読んだ日本の雑誌に、最近日本でもアジア各国からの不法労働者、いわゆるジャパゆきさんたちが社会問題化してきているということが書いてあったが、日本もいずれここの国のようなことをやり始めることになるのかもしれない。理屈の上でそれが政府として当然の策であることは十分に理解できる。しかし、まさかその網に自分自信がまんまとひっかかってしまうとは・・・・。

 椅子に座って、この日はずっとただ眠った。

 午後6時を過ぎたころだった。監督官が
「ミスターハルナ!いるか?」
と大声で呼んだ。

「用意をしろ。フライトの時間だ。」
 オレはその中年の監督官についていった。歩きながら彼は告げた。
「あなたはパリで降りることになっている。マレーシア航空は、あなたにその分の飛行料金を課すことはしないといっている。」

「パリですか?フランス政府は私の入国を認めてくれるでしょうか?」
「それは私たちにはわからない。だが、あなたはフランス行きのビザを持って入る。チャンスはあるはずだ。」

 広大な迷路のようなヒースロー空港の細い裏通路を重い荷物をかついで歩く。普通の乗客はこういうところは通らない。通るのは空港で働く職員たちだけ。そして、このオレたち「囚人」だけだ。

 フライト待合室にはもう人影はなかった。オレはこの機に乗る最後の乗客(招かれざる?)らしい。中年の監督官がパーサーらしき男に小声で何か話し、オレのパスポートを手渡した。

 お役目終了。監督官は帰ろうと振り向き、すれちがいざまに、
「Bye。」
といって、笑みも見せずに手を上げた。オレは「See you(じゃ、また)」と言いかけた口を唇の先でふさぎ込んで(誰がもう一度会いたいもんかよ)、
「Bye。」
と、これまた無表情で言い返して、機内へと背を向けた。

 搭乗券を持たないオレはパーサーの指示する席に腰を降ろした。回りの人たちが何故かしらみんなオレを囚人と見ているような気がして落ち着かない。

 ドアが閉められた。
 ああ、これで今回はイギリス入国はお預けか・・・・。
 だが、果たしてまたこの国へ来ることがあるんだろうか。はっきり言って、今はもうこの国を見てみたいというような思いなどカケラもなくなってしまった。捕まって以来約60時間。あーあ、長い囚人生活だったぜ。まったく・・・。

 機が離陸、シートベルト着用のサインが消えた時、パーサーがパスポートとロンドン-パリ間の切符を持ってきてくれた。小柄な人なつっこい笑顔のパーサー。こういう時はマレー人のまろやかな笑顔というのは、ホントにありがたいものだ。

 だが、パスポートを開けた時、最後の英国パンチがオレを殴った。あの真っ赤なパスポートの最後のページにはなんと、

移民管理局
1987年2月〇〇日
ヒースロー

というスタンプの上に、ボールペンでくっきりと、大きく「 X 」のマークが描かれてあるではないか。まぎれもなくこれは、オレがイギリス入国を拒否されたことを示すサインである。

「やられた!!」
これではまるでオレが問題のある旅行者であるということを、自ら証明して回るようなものだ。ああ、またまた絶望の海。

 このスタンプを見た時のパリの空港の入国審査官の顔が目に浮かんでくる。あーあ、これではまたパリの空港でも同じメに逢わされてしまう。あのクソッタレイギリス官吏め、なんでこんなクサッたスタンプを・・・!?

 簡単なスナックがびっくりするほどかわいいスチュワーデスから出されたが、胃が重く、食べる気などまったくしない。目の前の包みに入っている食べ物は拘留室の中で食べた粗食と比べて、はるかにましなものが入っていることは間違いない。だが、いかんせんあと数十分後にはどんな特別室あるいは拘留室に入れられるのかと気にする頭では、とても舌が味を感じ取ってくれそうもない。

 かくして悶々たるフライトは終わり、オレは機上の人からフレンチ型特別室の人に変わるべく、シャルル・ド・ゴール空港のこれまた迷路のような通路に鉛のような足を踏み出した。

 オレは同機から降りる乗客の列の最高尾につけた。人間だれしも仕事の最後の方は気をゆるめて手を抜きがちになる。それをここの空港の入国審査官にも期待する、という極めて姑息な考えであった。

 前を見ると、ゲートはたったひとつ。だが、列は予想をはるかに上回るスピードで前へ前へと進んでいる。同じEC圏内のロンドンからのフライトというせいか、入国審査はヒースローの時と比べて圧倒的な早さである。

 ゲートにいる若く青白い顔の男性審査官は、次から次へと差し出されるパスポートにほぼメクラ判の感じで入国許可のスタンプを押している。黒人に対しても、アラブ人に対しても、東洋人に対しても彼は処理のスピードをまったく変えることはない。
 アレレ?えらく簡単そうだなあ・・・。ここで、オレの胸にかすかにかすかに希望の灯が点った。

 だが油断は禁物。オレはこの目の前の審査官が、あのスタンプ上の”×”のサインを見つけた時に投げかけるであろう、ありとあらゆる質問を想定し、その回答を頭の中で繰り返し繰り返し唱える作業に没頭した。

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