1986年7月F日
会社への忠誠心-日本とオーストラリアの差

先日、用事でポートヘッドランドへ行った時、北口さんに会えた。これまで何度かあの町には足を運んでいたが、一晩泊めてもらってゆっくり話をしたのはあれが初めて。非常に興味深い話をいろいろ聞かせてもらった。
彼は東京都出身。大学を中退して10年前にこの国へやってきて、ポートヘッドランドの鉄鉱石会社マウントニューマンにて仕事を得て、永住権を獲得した。
そして日本へ一度戻って、現在の奥さんと結婚。奥さんの家族の嵐のような大反対を押し切って、あの赤い砂塵舞う地の果てポートヘッドランドで生活を始めたという。
10年前といえば、この国が非ヨーロッパの国からの移民を受け入れ始めた直後のころだ。当時、道を歩くのにも周りの目をはばかることもあったことだろう。それにあのポートヘッドランドという荒くれ者の溜り場のような町では、さらにひどかったことだったと思う。どんな風な毎日を送ってこられたのか、想像する気もおきない。
だが、彼は考えるところあって、近々10年間住んだあの町を出ることになるのだと言った。日本のある自動車会社がアメリカに工場を建設するにあたって、日本人スタッフと現地人スタッフの仲立ちとなるような職種を募集したのに応募し彼は見事合格、採用となった。そのため、マウント・ニューマンを近日中に退職し、近々奥さんと3人の男の子が住んでいるパースへ戻ることになるという。
彼がこの夜、あるおもしろい話を聞かせてくれた。
彼がある現場の監督だった時(北口さんは鉄道の線路を管理する技術屋である)、ある若いオーストラリア人の男が下で働いていたという。この男は非常に有能な男で、仕事も人の2倍ぐらい熱心だったという。北口さんはいつもこの男に全面的に信頼をよせていたそうだ。
だが、彼にはおかしなところがあって、終業時間前30分になると決まってピタッと仕事を止めそそくさと帰りのしたくを始めるのだという。北口さんは、通常、ふだんの彼の仕事ぶりを見ていて、そんな彼の態度に何も注意をしなかったそうだ。
だが、ある日あと10分も仕事を続ければ一区切りがつくというところで、この若い男が例のごとく終業時間前30分に帰り支度を始めた。北口さんはとうとう思い切って、この男に、もう少しだけ残ってやってくれ、と頼んだという。すると、この男は、いやだと言った。
そこで、北口さんは、
「なんで、もう少しで一区切りするのに続けないんだ?」
と、尋ねた。すると、この男は、
「オレは今日、一生懸命やった。この続きは明日にさせて下さい。」
と、言ったという。
ここで、北口さんは、
「なんだ、おまえ。マウント・ニューマンを愛してないのか?」
という言い方で、ちょっとばかりスゴんだのだそうだ。
すると、この男は、
「なんですか?それは?」
という返事。
「オレはただカネを稼ぐためにこの会社で働いているんですよ。愛してないのかって?オレ、そんなこと考えたこともないですよ。」
と、若いこのオーストラリア人は、あきれかえった表情でそう言ったそうだ。
北口さんは、
「やはり、オーストラリア人と日本人とは違うよなぁ。オレは日本人だし、長く勤めたこの会社に対して深い愛情を感じてるのに、やつときたら・・・。」
そうオレに向かって、嘆いておられた。
ここでオレが気になったのだが、北口さんの言い方だと、日本人という国民はすべからく己れの働く会社に愛着を持つということになってしまう。
実際、日本でよく読んだ書物にもそのような、まるで日本人ならみんなひたすらただ自己をできるだけ抑え、会社のために何でもやるという心性を持つ、というような言い方がされていたが、はたしてホントにそうなんだろうか。
このオーストラリアという国においては、会社と労働者の関係というのは、まことにドライなものである。終身雇用などという慣行はまったくなく、週1回会社から給料の小切手をもらうだけで、通常、会社からはあと何の保証も労働者は得られない。
通常、日本の会社ではある程度長く勤めればそれだけで昇進、昇給ができる。そしてよっぽどのことでもない限り、クビを切られ路頭をさ迷うことなどまずありえない。
しかし、この国では第一に力がなければ昇進、昇給はまず行なわれないし、自分より有能な人材を会社が連れてくれば、自分はたちまちその地位を追われ、ひどい時にはクビさえも飛んでいく。つまり、明日の自分の会社内での位置の保証など、どこにもありはしないのだ。
北口さんは会社への忠誠心の有無は生まれついた民族の血で決まるような言い方をされていたが、自分にはどうもそうは思えない。それはあくまで会社と労働者の雇用の保証の有無にかかわっているのではないか、と思えてならない。
会社という組織の一員として、その命令にただ従いさえすれば一生安泰な地位を確保できる人間と、明日にもクビを宣告されるかもしれないとおびえつつ働いている人間とでは、会社に対する愛着、忠誠心に大きな差異があって当然ではないだろうか。
カラーサでのオレの待遇は会社から家を与えられ、自分の自由に使える車を与えられ、週に270ドルの給与(税引き前は350ドル)を与えられるというものであるが、マネージャーであるアーノルドもレイも、多かれ少なかれよく似たものである(らしい)。
だが、この国では、一時賞与もなく、会社主催の運動会や忘年会などあるはずもなく、明日の雇用の保証もない。そんな中で働いて、会社を愛し、会社のために我が身を削ってまででも尽くすという心が芽生ええるだろうか。
オレはカラーサで、ただ何か一つのことに対する達成感を得たいという欲求と、与えられた仕事はやり遂げねばという責任感とに支えられて(カッコ良すぎる言い方かな)、まがりなりにもこれまで半年以上やってきたわけだが、いま冷静に考えて、これから先もずっとこの調子でやり続けられるかどうかはなはだ疑問である。
はっきり言って、自分にはこのPOAという会社に対する愛着、忠誠心などというものは、いまだにほとんど持てない。
オレはこのPOAでそれ相当の努力はしてきたつもりである。というのもオレはいつか必ずここから出ていくということを前提にしてやってきたからだ。
だが、自分がもしこの国の永住権を持っていてこの会社で働いていたと仮定すると、これまでやってきたほど自分が一生懸命になれたかどうか、かなり疑問である。おそらくオレも北口さんの下で働いていた若いオーストラリア人のような勤務態度にならざるをえないのではないだろうか。
北口さんが、いったいどんな風にしてマウント・ニューマンという会社に愛着や忠誠心を覚えたのか知るよしもないが、少なくともオレは、この国の会社対労働者の関係のなかで、そんな愛着や忠誠心などとても持ちえそうにはないと思う。
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