1986年7月G日
ビザに変化-移民局の気配りなのか

今日、アーノルドから、ケン、重大な話がある、と呼ばれて、夕食後彼の家までその重大な話を聞きに行ったが、その話はやはり重大だった。
アーノルドはやや言いにくそうに話を切り出した。
「ケン、よく聞けよ。オレに続いて、おまえにも変化があるようだぜ。」
「えっ?・・・と、いうと?」
「おまえがこのPOAで働くのも・・・、もうそれほど長くはなさそうなんだ。」
「・・・・・?」
「いやな、ケン。今日ロビンから電話があって・・。」
「・・・ロビンって、あの税関の・・・?」
「そうだ。実のところ、以前からやつはオレに会うたび、おまえのビザのことを尋ねていたんだ。やつも税関吏のはしくれ、いうなれば移民局の人間と同類だ。外国人にかかわることとして、おまえのことをやつは気にしていたんだろう。
オレたちは何も悪いことをしているわけじゃない。おまえはちゃんと正面きって移民局へ申請に行っているわけだし、オレたちはただ返事を待つしかなかったんだものな。オレはやつに、おまえの件はワーキングホリデイ制度の特別措置じゃないか、とずっと言い続けて来たんだが・・・・。」
「・・・それで・・・。」
「それで、それでだな。実は・・・。」
「・・・・・。」
「いや、ケン。今日ロビンから電話があって、やつはおまえの滞在期限は、この8月の末で切れることになるというんだ。」
「・・・・・・!」
突然のことでオレは声が出ない。
「・・・オレも突然のことでびっくりしたんだが・・。・」
「・・・そう・・・。」
突然来るべき時がやってきた。今年2月に申請に行って以来、移民局からはまったく何も連絡がなかった。この半年近く外国にいながらパスポートを手元に持たないという離れ業をやってきたわけだが、最近ではオレの頭の中にはそんな記憶などほとんど残っていなかった。
だがいつかは来るべき時、それがとうとう目の前にやってくるという。
「・・・でも、移民局は、あのビザについて、なんでこんなにも長く判断を伸ばしたんだろう?」
「うん、おかしな話だな。だけど、それはそれなりに理由があったんじゃないかな。」
「・・・・というと・・・?」
「いや、これがこのオーストラリアという国の特徴的な部分なんだが、それはこの国がいい意味にも悪い意味にも、ある程度のゆるさあるいはいい加減さを持っているということなんだ。」
「・・・・・・?」
「おまえもこの国に1年半住んでみて、すでにわかっていることだと思うけど、この国の人間はかなりゆるいところがある。そうだろ?」
「・・ああ・・・そうだね・・・。」
「それを今回のおまえのビザの件にあてはめて考えると、それは彼らなりのある種の融通性を効かせた気配りじゃないか、と思うんだ。」
「気配り・・というと・・・?」
「おまえのビザの件に対しては、表向きには彼らは基本的に許すことはできない。あくまでワーキングホリデイの滞在期間は1年と明文化されているからだ。しかしながら、彼らも地獄からの使者ではない。あくまでこの国にとっての利益を常に考えねばならないこの国の役人なのだ。
そこでオレが考えるには、基本的に彼らはおまえのビザを認めようとしたんじゃないか、ということなんだ。」
「・・・・・。」
「というのは、やはりジェフの手紙やおまえの嘆願書がやつらの心を動かしたんだと思う。それに彼らにしたって、この国に利益をもたらしてくれるであろうおまえという人間を無下にほっ放り出すなんてことはできない、と思ったんじゃないだろうか。
だが、表向きにはビザ延長はできない。そこで非常にこの国らしいところなんだが、彼らはここでおまえのパスポートをいっそ何もしないでしばらく放っておけ、ということにしていたんではないだろうか。つまり、彼らはおまえのために「積極的に」何もしないという方法を取った、ということではないだろうか。ケン、そう思わないか?」
「・・うーん・・・・。」
「これはオレのまったくの推測だが、オレがこの国に30年ばかり住んできた経験から言っても、案外当たっているかもしれないと思う。
この国では、移民に対して最近その方向を変えようとしている。ひとむかし前ならば、ほとんど誰でも特にヨーロッパ系の白人ならばどんなやつでも移住を認めてきた。だが、最近はこの国に何かプラス面をもたらす人間、この国に何がしかでも貢献できる人間を入れようとしている。裏から言えば、それはこの国が以前ほど国際的に楽な立場ではなくなりつつある、国際的に競争力がなくなりつつあるということなんだが。」
「・・・・そうなのかな・・・・。」
「そんな中、この国としてはやはり一人でも多くこの国に何かをもたらしてくれる人間を欲しがっている。そのため、おまえの件もこの国全体の利益を考えれば延長OKの返事を出してもよいところなんだが・・・、やはり規則を表だって破るということは、この国の移民局としてはどうしてもできなかったんだろうと思う。」
「・・・・なるほど・・・・。」
「だが、だがやはりそれにも限度がある。移民局が6ヶ月というのを一応の限度と考えていたのかどうかオレにはわからない。だが、ロビンはこの点についていつも疑問に思っていたんだろうと思う。そこで、おそらく最近やつはパースの移民局に直接電話を入れて、おまえのビザのついての確認を入れたんだろう。
そこで移民局としてはこれ以上おまえを放置できないと判断し、あるいはすでにおまえはやるべきことはやったはずだと勝手に推測し、もう延長は不要と決定し、ロビンにケンはもうすぐこの国を去ることになる、と告げたのだと思う。」
「・・・・・。」
「ということだ、ケン。」
「・・・なるほど・・・。」
ホント、なるほど、だ。当たっているのかどうかわからないがアーノルドの話に5分の4納得。
「ケン。・・・あくまでこれはオレの推測だが。」
「わかったよ。・・で、オレのパスポートはどうしたらいいんだろう?」
「うーん、そうだな・・・。おそらく、ジェフとしてみたら、これ以上移民局と話をこじらせたくはないと思っていることだろうし・・・・。
・・・そうだな、ケン。今が7月の末だ。8月の末までたったの1ヶ月。おまえは1ヶ月以内にこの国を出ないといけないことになった・・・・。
オレとしてはあまり早く行かせたくはないんだが・・・、おまえがまだシドニーやメルボルンへ行ってないのならぜひ行ってみるべきだし・・・・。
そうだな・・・、できるだけ早くここを出てパースへ下りて、移民局へ取りに行ったらいいよ。・・・残念だがな・・・。」
オレがここを去るときがまさかこんなかたちでやってこようとは・・・・。
だが、これは当然の結果である。むしろこれまでが少し普通でなかったといえる。あまりにも突然のことで、最初は自分の身をこれからどのように振ったらいいのかわからかなったが、ここはやはりアーノルドの言う通りしか他にやりようはない。年貢の納め時とはこのことなのかもしれない。
ちなみに、もうオレはこの時点で、パースを出る時に感じていたようなこの国での未達成感や消化不良感はかなり小さなものになっていた。
これまでオレは、客観的にも、まったくバカみたいにここで必死で仕事をやってきた。ホンマ、いったいなんでこんなにまでがんばらなあかんねん?と、自問自答したことも星の数ほどもあった。
今このダンピア・ポートウォルコットに来る日本船の5割はわがPOAのお客さんとなった。先週などは入った日本船すべてがわれわれに注文も出してくれたほど、われわれはこの地においてのリーダーとしての地位を確保しつある。
この調子でいけば、シーレーンをこのカラーサから退却させるところまでこの店を大きくすることも可能かもしれない。そこまでなんとか残って、大きな感慨の中に浸りたいという気持ちは強い。
だが、アーノルドもこの町を出るというし。せっかくここまで作り上げたこの店を放り出すのは後ろ髪を引かれる思いだが、できるだけ早く次の日本人をオレのあとに継がせる考えをジェフが持っているでもあるし、なんとかなるであろう。
レイ大先生も新しいマネージャー候補のピーターもオレたちのあとをうまくやっていってくれることだろう。
もういいや。さあ、ここを出ていく日取りを考え始めよう。
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