1987年2月A日

パリ。
カネと時間のある人なら必ず一度は訪れてみるべき町。世界広しといえども、ただ通りを歩くだけでハートがアラヨ、ソレッと掛け声をかけて踊るような衝動を感じ取る町というのはそう多くあるものではない。
フランスは自分にとって生まれてから9番目に訪れた国であるが、このパリはニューヨークと並んで、自分に最もエキサイティングな印象を残した町である。目に映るものすべてが映画の中のワンシーンのように見えるこのいわゆる花の都にオレは文字通り一目惚れしてしまった。
パリへ来ることは初め予想もしていなかったため、この町についての予備知識はほぼゼロだった。そのためなおさら目に映るものすべてが特別に思えたのであろう。泊まったユースホステルの窓から見たパリの初めての朝の風景は、その先いつまでもオレの瞼に焼きつけられることになる。
しかし、この町での問題はこの狂ったような物価の高さである。フランスフランは最近その価値を大幅に下げたと誰かが言っていたが、なんの、パリの物価はこれまた狂っていると言われる日本のそれ以上の感すらある。
ユースホステルの泊代(朝食を含む)が67フラン(1,300円)はまだいいとしても、フランスパンにサラダをはさんだだけのサンドイッチが一個25フラン(500円)ではとてもやっていけない。果たしてこの町の人たちはいったいどれくらいの収入を得ているのだろうか。東南アジアではサイフの中身など10日に一回調べれば大丈夫だったが、ここでは毎夕調べないと気が気でしようがない。
果たしてパリに着いてまだ3日目。もうサイフの中身はしめて700米ドルほどしか残っていない。そして、ここでオレが思いついたのが、金がないならいっそこのパリで仕事を見つけてしまえばいいじゃないかということであった。
ベルギーのアントワープとオランダのロッテルダムの二つの港に、日本人がやっている船食会社があるということをカラーサで会った船の人たちから聞いていた。そして、そこで働きながらヨーロッパの生活にどっぷりとじかにふれてみようというのがこっちへやってきたそもそものハラであったのだ。
だが、この狂ったように魅惑的な花の都パリで生活できるならそれはまさに願ったりかなったり、夢のようなことではないか。
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