1987年2月E日

シンガポールでの日本人男性の御難を紹介したついでに、もうひとつ東南アジアで聞いた話を紹介する。
主人公はシンガポールのベンクーレンストリートの宿で会った20代後半のデンマーク人男性で、彼が受難した場所はフィリピンのマニラ。これも小説風に書くことにする。ここでの主語の「オレ」も筆者ではなく、デンマーク人の男である。
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オレはリサールパークで歩き疲れた足を休めていた。マニラの1月はおだやかな気候で心地良く、海に隣接したこの公園ではなおのこと。
昨年マルコスを追い出した革命の様子をオーストラリアのテレビはよく報道していて、その時に何万人もの人民の集会場所として映っていたのがこの公園だったが、いまはもう落ち着きを取り戻している。
高校生ぐらいの少年たちが、ワイワイとサッカーに興じている。芝生もひんやりとして、オレは夕暮れにはまだ少しという午後をぼんやりと過ごしていた。
そこへ右正面から歩いて来た若い男が右手を上げて近寄って来た。ふだんは初対面の人間とあまり親しく話せないオレも誰もが親しげにあいさつしてくるこのマニラですでに3日を過ごしたあとは、気持ちもソフトになっていたようだ。オレは「ハロー」と声で返した。
「ハーイ、元気か?」
「とてもいいよ。あんたはどうだい?」
「非常にいいね。今日は天気もいいし、オレはこのリサールパークで過ごすこんな午後が大好きなんだ。」
「オレも。マニラはホントにいい所だね。」
「そうだろ。・・・オレはジェリー。マニラ生まれのマニラ育ち。で、あんたは?」
「フランクだ。デンマークから来たんだ。」
「ええっ!?デンマークだって?」
男はびっくりしたような大声を出した。
「ホントかい?」
「ああ。ウソなんか言うはずないじゃないか。」
「いやぁ、実はオレの妹がいまコペンハーゲンで絵の勉強してるんだよ。」
「へぇ・・・、そうかい・・・?妹さんが・・?そいつは偶然だね。」
「ホントだ。3日ほど前にも手紙が来て、彼女はコペンハーゲンでの生活を大いにエンジョイしているということだったよ。」
「そいつはいい・・・。」
感じのいいこの男とオレはデンマークのこと、フィリピンのこと、サッカーのことなど、とりとめもなく話をした。一人旅の淋しさは旅先で出会う地元の人たちと話すことでごく簡単に吹き飛んでいくものだ。
「ヘイ、フランク。これからどこかへ行く予定あるのかい?」
「・・・・いいや、別に・・・。」
「そうか。・・・それなら、もしよかったら、オレのところへ来ないか?冷たいものでも飲んでいってくれよ。」
「それは有難いけど・・、あんたの家って?」
すぐそこだよ。歩いて10分ぐらいだ。うまいケーキもあるし・・・、なんだったら、ビールでもいいよ。」
「でも・・・、本当にいいのかな・・・?」
「遠慮するなよ。さあ行こう。」
オレは底抜けに明るく振る舞うこの男に気を許して腰を上げた。
「ここだよ。あんたのデンマークの家よりかはかなり小さいはずだが・・・・。」
笑いながらそう言って彼が案内してくれたところは、マニラではごくお馴染みの簡素な作りの家。戦後の混乱期に作られた日本の家という趣である。
風通しの良い部屋で、床に敷かれたタオル地のじゅうたんが心地よい。
「ビールにするかい?」
「いや。ジュースとかの方がいい。」
あまり冷えていないジュースを飲みながら、オレはやつがアキノ大統領を支持するためにデモ隊に加わった時あやうく銃弾を頭にくらいそうになったこと、マルコス一家が脱出したあとのマラカニアン宮殿に乗り込んで、三千ペアあるというイメルダ夫人の靴のコレクションのひとつぐらいカスめるつもりだったが、腰が抜けて動けなかったことなど、いろいろおもしろおかしく話してくれた。
いつの間にかオレもジュースからビールに飲み物を変えて、すっかりご満悦とあいなっていったのだった。
「・・・ということなんだ。フランク、オレもついてないよなぁ、まったくもう・・・。」
「まったくだ、ハハハ・・・。またそのうちいいこともあるさ、ジェリー。」すっかりオレたちは打ち解けていた。
そこへ、
「ヘーイ、ジェリー!」
という声とともに、若い男4人が家の中に入ってきた。
「おう、よく来たな。まあ座れよ。フランク、この男たちはオレのダチ公たちだ。気がねしないでくれよな。こいつがデビッド、その隣りがフレッド、そしてアントニオとジルだ。おい、みんな、デンマークから来たフランクだ。」
「ハロー、フランク。」
「フィリピンへよくきたな。」
4人は口々にあいさつ。みんなとても感じの良いやつらばかり。典型的なフィリピン人たちである。そこからまたみんなでワイワイとビールを飲み始め、席はなおいっそうにぎやかになっていった。
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