D-29 孤独な日本人バックパッカーそして日本の国

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1987年2月F日

孤独, 日本人

 東南アジアの他の国々ではあまり見かけない日本の若いバックパッカー旅行者だが、ここシンガポールのベンクーレンストリートの宿街ではたくさん見かける。彼らの旅行案内の本にこの通りの名前が出ているのかもしれない。

 いまのホステルのベッド8つのこの部屋のうち、日本人がオレを含めてなんと5人もいる。合計70人ぐらいのこの宿の宿泊客のうち、10人ぐらいが日本人だろうか。それまで絶えて見ることが少なかった同胞を見ることは、本当ならば心強く楽しく思えるものなのであろうが、なぜかここでは非常に複雑な思いにさせられてしまった。

 彼らの年齢はだいたい21-25才くらいか。学生が約8割を占める。そのほとんどはこの宿のオバサンの英語がわからず、メアリーという英語名を持つ中国系シンガポール人のオバサンは、
「ジャパニ(メアリーはオレのことをこう呼ぶ)あの子たちにちょっと英語を教えてやっておくれよ。あの子たち、ワタシのいうこと何にも聞いてくれないよぉ。あの子たちと話してるとなにか鳥に話しかけてるみたいな気になっちゃうよぉ。」
と、ボヤくことしきりである。

 実際、彼らの多くは今のオレにとっては非常につまらない存在だ。周りをすべて外国人に取り囲まれて緊張しまくっているのか、話をしていても冗談を言うやつなど一人もいない。「ビールでも飲みに行こうや」と誘っても、「結構です」とそっけなくノってこない。

 そしてオレも含めて我々の国民は海外で出会っても、お互いの名前を名乗り合うことがほとんどない。実際、この部屋にいる4人の同胞のうちオレに名前を教えてくれたやつはただの一人もいなかった。

 彼ら日本の若い旅行者の行動というのはだいたいパターン化している。滞在期間が短いということもあるが、みんなやたらとセカセカとまずガイドブックに載っているところを一通り回る。それがすむと今度はその土地のアナ場を捜しに回る。

 このシンガポールではチャイナタウンの南にある女郎屋街(古き良き時代のシンガポールを連想させてくれる隠れた見どころである)、あるいはインド人街(チャイナタウンと並んでこの美しい国シンガポールのゴミ箱のようなところ。しかしうまいカレー料理を出す店が多い)、そしてアラブ人街(イスラム教区域とでも呼ぶべきか)というところである。そしてそれらを見終えると、そそくさと荷をまとめ、次の行き先、たいていの場合マレーシアやインドネシアなどへと出ていってしまう。

 多くの場合、彼らは何故か単独での行動を好むようだ。横に誰か一緒に回ってくれそうなやつがいても、彼らはお互い恥ずかしいのか、ひとりで回ることに「男一匹やったるで!」的な自己満足を得ることができるのか、たった一人、みんないそいそゴソゴソと歩き回っている。

 フィリピンから帰ってきてから、オレはエレーズという若いイスラエル人と行動をともにしている。やつは21才までの兵役を終えたあと、旅に出てヨーロッパに1年半、日本を含むアジアに1年の合計2年半の旅をこなし、いまオーストラリア行きのフライトを待っているという24歳の男だ。

 やつは日本に3ヶ月ほどの滞在経験があるため、日本人にはきわめて好意的で、やつと話しているとちょっとした優越感に浸れることもある。

 だがある日、この宿のテレビ室兼リビングルーム兼玄関ホールで、他の大勢とテレビをみていた時、やつがこうオレに言った。

「ケン。ほら、あいつ。あそこで本を読んでるやつ。彼、日本人だろう?」
やつがアゴでしゃくって指した方向には、一人の日本の長髪の若者が部屋の隅で一人肩をすぼめて、つまらなそうに日本語の文庫本を読んでいた。

「オレは日本人のほとんどが何の外国語もできないのは知っている。だけど、あんな風にみんなから離れてポツンとひとりでいて、彼、楽しいのかなぁ?
 オレは世界中のあちこちで、あんな感じの日本の若者を見てきたが、オレは彼らが気の毒で仕方がないんだ。
 以前、2、3回気の毒に思って声をかけてみたことがあるんだが、英語、フランス語、ドイツ語、どれで話しかけてみても、彼らは一向にわかってくれなかった。英語で話しかければ答えは返ってくることはくるんだが、それもまさにカタコトでしかない。
 それでもそれに付き合って少し話をするが、彼らが悪戦苦闘しながら話す様子がどうしようもなく気の毒に思えて、またオレも聞くのに疲労困憊して、会話が長くは続けられなくなってしまうんだ。ケン、それ、どう思う?」

 エレーズの言うとおりだ。オーストラリアという英語を母国語とする国で20ヶ月を過ごしたオレと彼らを比較するのは彼らがあまりにも気の毒だが、実際、西側先進国からの旅行者の一団の中でオレが常に誰かどこかの国のやつと一緒にいるのに対し、彼らは非常にしばしばまったく天涯孤独である。

「ホント、問題だね・・・。」
オレも彼らを気の毒に思う。この宿には北アメリカ、欧州、東南アジア、中東といった実に様々な国の人々が集まっている。

 さらには、インドやイランの密輸人、マレーシアの道楽富豪、バングラデシュの船医、韓国の教師、ポーランドからオーストラリアへ亡命しようと計画している人など、様々だ。

 そして彼らのうちよっぽどの例外を除けば、すべて片言以上の英語ぐらいは話す。もし話せないのなら、誰か話せるやつ(同胞であろうがなかろうか)と一緒に旅を回っている。コミュニケーションの手段を持たずに旅しているのは、彼ら日本の若い旅行者だけだといってよい。

 これまで東南アジアで3ヶ月半を過ごしてみて、自分が長い在豪経験から英語という言語を使ってある程度のレベルまで周りの人々とコミュニケートできるようになったのは、実にありがたいことだったと実感する。

 もちろんオーストラリアで生まれて育った者なら、誰でもバカでもチョンでも話す言語が余りにも広汎にこのアジアでも使われていることに、極めて大きな憤りを覚えるが、英語という言語が少なくともこのアジアを旅するのに重要な「道具」となっている現実は絶対に無視できない。

 日本という国は(公的には)現在アジアで唯一の先進国である。だが、その国土はアジア大陸の外れ、東の果てにあって、他のいかなる国々とも違う、極めて特異な、オリジナリティが強すぎるまでの精神的、文化的背景を持っている(オレは学者ではないので、あまり断定的なことは言いたくないが、これまで見てきたことからも、それはほぼ当たっていると思う)。

 そこへもってきて、自分たちは特異な言語を話し、他の言語がほぼまったく理解できないとなってくれば、客観的にみて、我々は現在世界から「孤立」していると言わざるをえないのではないだろうか。

 昨今、国際化が叫ばれ、日本の社会全体もその必要性を十分に認めている。しかし、叫ばれるのは抽象論ばかりで、具体的に何をどうしたらいいという指針は見えてこないし、叫ばれもしない。長い旅をしてきた自分には、国際化とは、少なくとも国を孤立から救うことだ、と思う。

 自分にはこのテレビ室の片隅でうつ向きながら日本語の文庫本をつまらなそうに読み続けていた若者が、いかにも今の日本の姿をストレートに投影していると思えてならない。

 日本は経済統計の数字的判断によれば、世界で最も豊かな国のひとつになったと言われる。ある人はそれを自由貿易主義のもとに構築された国際経済の枠の中で、日本が多大な貢献をしたからにほかならない、というかもしれない。

 たしかに経済について日本はある程度まで国際化したといえるのだろう。しかし自分にはいまの日本の繁栄というのは、あくまで現在の世界にあって「相対的に強い」経済力を持つがゆえもたらされた繁栄、というものにしかすぎないのではないか、と思えてならない。

 繁栄そのものは大いに結構なことだが、もし万が一何らかの理由によって、日本のこの「相対的な強さ」がもはや日本人の努力だけではどうしようも維持できなくなった時、はたして世界の国々は日本との協調をこれまでどおりやっていこうとしてくれるかどうか、自分には大いに疑問に思えてならない。

 強さだけに魅力を感じて近づいてきた人々は、日本がそれを失った時、干潮時に潮が引くように、ごく自然にその身を引いて行くことは疑いの余地はない。もし日本が何らかの要因によって強さを失ったとき、我々に温かい救いの手を差し伸べてくれる国というのははたしていくつあるのか。

 国と国とのつながりというのは経済レベルだけによるものでも政治行政レベルだけによるものでもない。民主主義国家間にあっては、あくまで国民と国民とのつながりが、国と国とのつながりの第一の根本となってしかるべきである(断定的な言い方で恐縮だが)。

 そして、国民と国民をつなぐ道具。そのもっとも重要なものは個人と個人のコミュニケーションであると考える自分には、「外国人とのコミュニケーションをいかによくするか」という課題が、今の日本という国にあっては、あまりにもなおざりにされ過ぎていると思えて仕方がない。

 あの片隅の若者。あれが将来の日本にならないか。

 遠く離れたこの地にて、そんな懸念が重く重く自分にのしかかってくる。

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