D-30 「Big Japan !」

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1987年2月G日

日本, 東南アジア

 いろんな人たちがいて極めてコスモポリタンだったシンガポールのベンクーレンストリートのホステルにさよならして、バスでマレーシアのクアラルンプールへ移動した。あと数日でいよいよロンドン行きのフライトだ。

 11月初めからここマレーシアを皮切りにタイ、ビルマ、シンガポール、フィリピンの5ヶ国を約100日間かけて回った。そしてこの地域をじかに訪れ、見て、触れて、感じたことのひとつとして、この地域の人々の意識の中で日本という国の存在が、経済的のみならず文化的にもいかに大きなものであるかということがある。

 東南アジアのすべての国で英字新聞は出回っているが、それらに日本に関する記事が載らない日はまったくない。ほぼ毎日、第一面のどこかにJapanの文字が浮かんでいる。いわば日本は彼らにとってそれだけ大きな興味の対象なのだ。

 道路上ではどう少なく見積っても自動車の8割が日本製で、ほぼ全部のオートバイが日本ブランドで占められている。

 家電製品はナショナル製やらサンヨー製やらのものが10年前のモデルから最新式のモデルまで店頭を派手に飾っている。

 マレーシアではビジネスマン風の男性に会うたび、決まって彼らは、
「日本での職業は何だ?」
「何を取り扱っているんだ?」
「輸出入はしているのか?」
などの質問を浴びせてきた。

 そして、その次に決まって彼らは、あんたの会社の住所とあんたの住所を教えてくれ、と頼んできた。 その目の輝きから、彼らがオレという「日本人」と何らかの形で取引するチャンスをノドから手が出るほどまで欲しがっているのがはっきりと見て取れた。

 フィリピンでは、オレが日本から来たと告げると「Big Japan !」と微笑んで親指を立てる人が何人かいた。

 タイでは十代の若者たちが漢字やカタカナひらかなの日本語で書かれたTシャツを誇らしげに身にまとっている。そこに書かれているのは、「シアワセ」やら「愛情」といったものから、イラストの子供に「ママ、赤ん坊って、どこから来るの?」としゃべらせているものまで実に多様で、そういうのを決して自分の国では見ないわれわれには大いに恐縮させられる。

 タイではタイの国民的スターやアメリカ、イギリスのポップスター、ロックスターのカセットとともに日本の歌手たち(山口百恵、谷村新司など)のカセットが並んでいる。

 シンガポールのある大きなショッピングセンターの中で地元歌手による小さなコンサートが開かれていたが、その中で日本でもお馴染みの曲、谷村新司の「昴(すばる)」や千昌夫の「北国の春」などが観客から大きな拍手を浴びていた。さらには中国語の歌詞のなかに「サヨナラ」や「アリガトウ」などの日本語のフレーズをいくつか折り込んだ曲を歌った歌手もいた。

 政治的、経済的、歴史的に決してひとまとめにはできない5ヶ国だが、以上のことから少なくとも日本という2文字(=JAPANという5文字)がこの地域に住む人々に、彼らが好むと好まざるとにかかわらず、われわれには想像もつかないほど大きな存在感をもって迎えられていることは疑う余地がないようだ。

 実際、こっちが日本人だとわかると、彼らのなかにはこちらが恐縮しきってしまうほど丁重な応対をして下さる人もいた(ビルマでおみやげを買ってくれた人などは例外的であるが)。

 概してよほどのことがない限り、東南アジアを日本パスポートを持って歩いてじかに人々と接して、気まずい思いをさせられることは稀であろう(もちろんその人の態度いかんによるが)。

 ここでひとつだけわれわれ日本人が絶対に心しておかねばならないことがある。それはわれわれがそんな彼らに対して、決して尊大な態度で接しないことだ。

 一般的に東南アジアの人たちは、われわれ日本人よりも物質的にははるかに貧しく、また体格的にも背が低く痩せた人が多い。あまり偽善的なことは言うつもりはないが、身体の大きな金持ちが身体の小さな貧しい者を圧する様は、決してはた目にはカッコイイものではない。

 それはあたかも戦後アメリカの進駐軍に好き放題され、以来、現在までただ盲信的に(バカのように)欧米人に敬意を払う(ペコペコする)われわれの潜在的なうっぷんをここへきて一気に晴らしているかのように見えてしまうからだ(実際そうなのだろうが)。

 こういう懸念は、夜のバンコクあたりを徘徊する日本人ビジネスマンやナントカツアーでやってくる観光客の態度を目の当たりにするたび大きくなる。

 自分がこんな僭越なことを書くのも、ごく一部ながら、英語という第三言語を媒体としながらも、相当奥深くまで5か国の人々の生活の中に飛び込んで、草の根レベルで彼らの生の声を聞いてきたという自負があるからだ。

 この地域の人々と我々とがスムーズにコミュニケーションし合える良い手段が見つけられれば、上に挙げたような懸念作りの名手たちの態度も変化するはずなのだろうが・・・・。

 お互い、みんな、みんな人間なのだ。そのことは人と人との互いに意志の疎通があって初めて実感されるものである。

 そう口で言うのは簡単だが、実際のところそれは・・・・。

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