フィリピン– tag –
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F)パリ、ヨーロッパ横断、地中海
F-10 西ドイツ・デュッセルドルフでパトリックの家に電話
1987年3月A日 デユッセルドルフはヨーロッパの町としては町並みが新しい。おそらく第二次大戦中は連合国の砲撃の雨を浴びて、古い建物はすべて灰になってしまったのであろう。オランダのロッテルダムも激しい戦場となったおかげで町並みが新しいが、デユ... -
E)ヒースロー空港(ロンドン)
E-15 ヒースロー空港の収容所/日本大使館員との必死の対話
1987年2月B日 ヒースロー空港2日目の6 午後4時を過ぎたころ、拘留室の電話が鳴った。近くのやつが応対した。「ミスターハルナっているかい?」 オレにだった。 「もしもし、ハルナさんでらっしゃいますか?」 滑らかな日本語が受話器から流れてきた... -
D)東南アジア
D-30 「Big Japan !」
1987年2月G日 いろんな人たちがいて極めてコスモポリタンだったシンガポールのベンクーレンストリートのホステルにさよならして、バスでマレーシアのクアラルンプールへ移動した。あと数日でいよいよロンドン行きのフライトだ。 11月初めからここマレ... -
D)東南アジア
D-28 さらにまだあるペテン経験談 2/2
1987年2月E日 陽の光がようやくその勢いをなくし始めたころ、ジェリーがオレに言った。「フランク、オレたちはこれからトランプでゲームをしようということになったんだが、どうだ、一緒にやろうや。」「ええ?トランプかい?」「ポーカーだ。知ってるだ... -
D)東南アジア
D-27 さらにまだあるペテン経験談 1/2
1987年2月E日 シンガポールでの日本人男性の御難を紹介したついでに、もうひとつ東南アジアで聞いた話を紹介する。 主人公はシンガポールのベンクーレンストリートの宿で会った20代後半のデンマーク人男性で、彼が受難した場所はフィリピンのマニラ。... -
D)東南アジア
D-21 ガンバレ!フィリピンの男たちよ!
1987年2月B日 シンガポールへ帰る数日前に、2泊3日でルソン島北部フィリピンの「夏の都」(毎年3月から5月までの間、政府機能がマニラから移されることにちなんでこの名がある)といわれる山あいの避暑地の町バギオにて久々に心地好い涼しさをエンジョ... -
D)東南アジア
D-20 日本大使館に届かない小切手とバカのんきな自分
1987年2月A日 マニラに帰ったオレはシドニーのヨリコさんからの小切手が届いたかどうかの確認のため、日本大使館へ行った。前回行ってから2週間ほどたっていたので、もう届いていてもいいころだろうと思っていたのだ。 大使館前は日本行きのビザを取得... -
D)東南アジア
D-19 感動の芸術ストリップ、フレディー・アギラのライブでの日本サラリーマン
1987年1月F日 ペナイ島から豪勢にも飛行機でマニラに帰り(時間節約のため。そしてなによりもあの船の旅をもう一度やろうという気がどうしても起きなかったため)、約束通りパトリックと再会。 また例のごとくエルミタ行きを誘われ、再び「いやいやな... -
D)東南アジア
D-18 電気のないボラカイ島から狂気の祭りアティアティハンへ
1987年1月E日 ボラカイ島でパトリックとジャックに再会。ボラカイは真っ白な砂浜に椰子の葉が垂れかかる、海外旅行のパンフレットの写真撮影にはもってこいの景観を誇る、地図にも載っていない可愛い小さな島だ。そしておもしろいことに、ここには電気は... -
D)東南アジア
D-17 ボラカイ島へ向かう船の喧噪そして日本人男性とフィリピン人女性
1987年1月D日 エキサイティングな町マニラをあとにして、3日前に発ったパトリックとアメリカのロサンゼルス出身のジャックを追って、オレはフィリピン群島のほぼ中心に位置するペナイ島沖の小さな島ボラカイへとマニラ港から船に乗った。 前日に船の...
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