電話– tag –
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F)パリ、ヨーロッパ横断、地中海
F-10 西ドイツ・デュッセルドルフでパトリックの家に電話
1987年3月A日 デユッセルドルフはヨーロッパの町としては町並みが新しい。おそらく第二次大戦中は連合国の砲撃の雨を浴びて、古い建物はすべて灰になってしまったのであろう。オランダのロッテルダムも激しい戦場となったおかげで町並みが新しいが、デユ... -
E)ヒースロー空港(ロンドン)
E16 ヒースロー空港から出る/パリ行きのフライト
1987年2月C日 ヒースロー空港3日目そしてパリのシャルルドゴール空港へ 当局からは、マレーシアなのか、パリなのか、それとも日本なのか、送還先についての連絡は何もない。 パリに行けるようならもうけもの。それにマレーシアに帰されたとしても、シ... -
E)ヒースロー空港(ロンドン)
E-15 ヒースロー空港の収容所/日本大使館員との必死の対話
1987年2月B日 ヒースロー空港2日目の6 午後4時を過ぎたころ、拘留室の電話が鳴った。近くのやつが応対した。「ミスターハルナっているかい?」 オレにだった。 「もしもし、ハルナさんでらっしゃいますか?」 滑らかな日本語が受話器から流れてきた... -
E)ヒースロー空港(ロンドン)
E-13 ヒースロー空港の入国審査/そうだ!ロンドンにも日本大使館があるじゃないか!
1987年2月B日 ヒースロー空港2日目の4 拘留室内で昼食を終えて気分もやや開き直って、心は昨日と比べるとかなり穏やかになっている。 しかし、どう考えてみても、いまオレが置かれているこの状況は異常だ。こんなことがあっていいのか、イギリス政府... -
E)ヒースロー空港(ロンドン)
E-11 ヒースロー空港の収容所/フィリピンの在マニラ日本大使館に電話
1987年2月B日 ヒースロー空港2日目の2 しかし、気落ちばかりもしていられない。もしヨリコさんが送ったという小切手が実際マニラの日本大使館に着いていたなら、そこへ電話してそれを開封、確認してもらえばここの入国審査官も納得、オレを釈放してくれ... -
E)ヒースロー空港(ロンドン)
E-10 ヒースロー空港の収容所/シドニーのヨリコさんに電話
1987年2月B日 ヒースロー空港2日目の1 翌朝、コーンフレークと紅茶とチーズだけの粗朝食をそそくさと食べ、オレたちは再び「護送車」の人となり、ヒースロー空港へと戻る。 昼間見えるロンドン郊外は美しい。なだらかな丘がいくつもいくつも続く。こ...
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