1986年9月F日

このニュージーランドでの滞在を終えようとするとき、ひとつはっと気が付いたことがある。それはこのように自由に海外の町を周遊したのは昨年のアメリカでの10日間に次いで2回目だが、今回は前回とはかなり違った周り方だったということ。
アメリカではサンフランシスコに入ってから、ロサンゼルス、グランドキャニオン、シカゴ、ニューヨークを訪れたが、その行き先々の土地を歩き回るとき、オレはずっと一人だった。
今回が異なるのは、その先々の滞在先でホステルなどで知り合いができて、街中を歩いたり、ツアーに参加したりするとき、たいてい誰か知り合いと一緒だったということだ。そのため、常に話し相手がいて一人で味わう孤独感は少なく、いろいろ相談ができ、動きに余裕ができ、決定がスムーズかつ楽になり、滞在が全体として各段に楽しかったと言える。
なんでそうなったのかなあと思うに、理由は2つあるように思う。
ひとつは言うまでもなく、シンプルに英語の能力が向上したことにより、会う人たちと意志疎通する力(コミュニケーションを取る力)が向上したこと。
そしてもう一つは、初対面の見知らぬ人とすぐ仲良くなる術が自分に身についたことによると思う。単純な言い方をすれば、明るくフレンドリーで話をして楽しい人間に変わった、ということのようだ。
自分でも自覚があるが、オレは元来そういう人ではなかった。振り返っても、先生、先輩、監督、コーチ、上司などからはあまりよくあしらわれない人間の代表選手みたいなヤツだったと思う。なぜなら、いつも表情が明るくなく、従順でなく、反抗的なヤツと感じられていたように思うからだ。
日本を出る前に語学学校で英会話を習っていたが、そこの何人かのアメリカ人の先生からは、あなたは暗くてネガティブだねえ、とよく言われていたことを思い出す。
それにパース滞在の初期も、語学学校の先生やホームステイ先の主人とかからもう少し明るく見せる方がいいよ、というようなことをそれとなく伝えられたこともあった。
それがいまはどんな初対面の人でもすぐに楽しく会話できるくらい変わった。なぜそこまで変わったのか。思うにどうもそれはカラーサでの生活が変えてくれたのだと思わざるをえないようだ。
カラーサではアーノルドという自分をわかってくれるいいマネージャーがいて、日本船の人たちと仲良くさせてもらっていたが、やはり淋しさから身近に同年代の話し相手を渇望していたのも事実だった。
その淋しさを乗り越えるにはどうしたらいいのかをオレは当時いろいろ考え、実践に移したのはまずできるだけ自分から積極的に会う相手に話しかけることを心掛けたことだった。
また話をするときには、笑顔いわゆるスマイルを無理やりにでも作って相対するようにした。
さらにオレが一番がんばったのは、ジョークを上手に使えるように訓練したことだった。そしてオレの変身を一番助けてくれたのがこのジョークの才能だったと思う。
<メモ>
このジョークの才能がオレの旅のバックボーンとなって、その先々の無数の世界の人々との出会いにおいて、大きくオレを助けてくれることになっていく。
客観的に言えば、初対面の人々と高速で仲良くなる術をカラーサで体得し、このニュージーランドの周遊旅でそれを証明した、ということか。
この変化は非常に大きなものだと思う。その変化が起こっただけでもこれまでの外地体験18ヵ月の価値はあったと言える。
そのことに気が付き、何か肩の荷が少し軽くなったような気がした。
コメント
コメント一覧 (2件)
ようやく、外地に頭と体が馴染んできたということなのかなと思いました。人って環境変えれば、変化できるんですね👍
コメントありがとうございました。
外地に馴染むのはどこでもやはり最低でも1年はかかるって思いますね。
もちろん2年、3年と滞在が長くなるに連れ、さらにて馴染みが深くなるんでしょうけど。
おっしゃるように、環境が人を変えるのは間違いないと思います。
自分を変えたい人は周りの環境を根本的に変えることがベストですね。