1987年2月F日

ホステルの受付の女の子に教えてもらったヒッチハイクの最適場所まで路面電車で行く。
ヨーロッパの多くの町のバス、路面電車、地下鉄といった公共交通機関の駅ではふつう切符の検札はされない。そしてそれは車内でもされない。
ごくたまに検札官数人がドッと車内に抜き打ち的に乗り込んで客の切符を調べて回って、もし切符を持っていなければ30ドルの罰金というような戒めを与えるだけである。
つまり、そのごくたまの検札にひっかかりさえしない限り「タダ」で乗車が可能である。もちろんオレは今日もタダ乗り。
彼女が、西ドイツへヒッチハイクで行くならここが一番よ、と教えてくれた場所は、アムステルダムの南の端にある高速道路の入り口ランプだった。ここはアムステルダムの人たちにはよく知られたポイントらしく、そこにはすでに二人の先客がいた。やつらはオランダ南西部の町まで行くという。
オレは彼らが先に車を捕まえるのを待とうかと思ったが、時刻はすでに12時少し前、あまりゆっくりして今日の目的地の西ドイツのデユッセルドルフまで陽が高いうちに着けるかどうか確信がない。なにせ生まれて始めてするヒッチハイクだ。できるだけ心配のタネは作りたくない。
オレはポイントを数メートル前にずらし、後ろへずらし、ランプ直前の信号まで行って、止まっている車のドライバーに直接「W.GERMANY(西ドイツ)」と書いたボール紙製のプラカード見せたりしたが全然収穫がない。やがて前の二人がシトロエンの中に消えて、オレは彼らが立っていたところで待った。
だが、待つこと約30分、どの車もまったく止まってくれない。オレはプラカードを「W. GERMANY」から「UTRECHT」(アムステルダムの南約40-50キロのところにある町)に変えた。
するとどうだ。なんと三台目の車が止まってくれたではないか。オレは全速力でその止まってくれたベンツへと走った(教訓:ヒッチハイクのプラカードに書く行き先はあまり遠くの地名を書かず、その地元の人が誰でもわかるような地名を書くこと)
ドライバーは年齢約40歳の女性。サングラスをかけ、暖かそうな毛皮のコートをはおって、いかにも生活に満ち足りているという趣きだ。
「どうもありがとう。助かりました。」
重いバックパックを背負って息咳切らしながらオレはあいさつ。
「いいえ、どういたしまして。どこまで行くの?」
「今日中に西ドイツのデユッセルドルフまで行くつもりなんです。」
「そう。私はこの先70キロほどの町まで行くだけなのよ。だから、途中の×××までしか乗せてあげられないけど、それでもいいかしら?」
「もちろんですよ。少しでもデユッセルドルフに近づくなら、どこでも結構です。」
このベンツはたぶん3代前のモデル。マレーシアの長距離高速タクシーによく使われている、やや骨董品の趣きすらある型だが、そこはくさってもベンツ。高速走行の安定感、室内の静かさ、堅実なブレーキングなどはさすがだ。日本で乗っていたニッサン・サニーや、オーストラリアでのフォード・エスコートとは約三味違う。さすがは西ドイツが誇る世界の名車である。
「あなた、どこの国から・・・?」
「日本です。あなたは?」
「今はアムステルダムよ。生まれはベルギーの小さな町だけど。」
「へぇ、ベルギーですか・・・?」
「ええ、このあたりの国々では、いま住んでいる国と生まれた国とが違う人ってけっこう多いのよ。日本は?」
「そういう人はごくごく僅かですねえ。少なくとも自分の回りには一人もいません。」
実際、ベルギーからオランダへ入国する時、パスポートの検査など一切なかった。ルクセンブルグと合わせたこのベネルクス三国はよく言われるようにかなり密な関係にあるようだ。ECの統合が数年先に実現されるというが、このベネルクス三国の現在の統合の在り方などが、大いに参考にされることになるのだろう。
20-30分のドライブのあと、車は小さなパーキングに入った。
「ごめんなさいね。私はこの次のインターであなたの行く方角とは別の方へ行くことになるの。だから、あなたをここで降ろさなければいけないのよ。」
「わかりました。どうもありがとうございました。」
ベンツは低いエンジン音を残して出ていった。
ふうっと一息入れる。さすがに見知らぬ人の車にタダ乗りさせてもらうというのは気を使う。だが、やはり土地の人とゆっくりと話ができるというのは、ヒッチハイクの大きな利点のひとつである。
人生初のヒッチハイクは上々。
オレは気持ちがぐっと前向きになり、バックパックの腰紐をギュッと締め、ヨシッと気合いを入れ直して、パーキングから車が本線へと加速し始める直前のポイントで次の獲物を待った。
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