西ドイツ– tag –
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F)パリ、ヨーロッパ横断、地中海
F-16 ギリシャからトルコへ入り、雪原の中、生まれて初めて左ハンドルの車を運転してイスタンブールへ
1987年3月F日 ギリシャ・トルコ国境で目が覚めた。時刻は朝5時。入国審査官もあくび混じりの対応だ。 川端康成の小説のような長いトンネルこそないものの、国境を抜けるとそこはただ一面の真っ白な雪原だけが眼前に広がっていた。前にも後ろにも車は... -
F)パリ、ヨーロッパ横断、地中海
F-15 ギリシャ入国-西ドイツと日本の差トーク-生きる目標や自殺の理由
1987年3月E日 ユーゴスラビアとの国境を越えてギリシャに入り、深夜少し前、エーゲ海添いの町テサロニキでもう一人の同乗者だった中年の西ドイツ人男性が降りていった。彼はそこから鉄道でアテネまで行って、しばらくのんびりしたあと、エーゲ海のどこか... -
F)パリ、ヨーロッパ横断、地中海
F-14 ユーゴスラビアとブルガリアの国境の村はタイムマシン
1987年3月E日 首都ベオグラードの市内をかすめるようにフリーウェイを走る。が、フリーウェイから見たベオグラードは、これがホントにユーゴスラビアという東欧の大国の首都なのか、と疑わざるをえないほど寂れた印象を与える町だ。ベンツはあっと言う間... -
F)パリ、ヨーロッパ横断、地中海
F-13 ユーゴスラビアで社会主義国家の洗礼
1987年3月D日 多少引きつった顔のトーマスは大きくため息をついた。「たいへんなところだね、ここは。」「ああ、車の製造番号を穴があくほどしつこく確かめられたよ。やつらときたら、ホント、人間をもっと信じなきゃ。」 「だけど、いったいどうしてあ... -
F)パリ、ヨーロッパ横断、地中海
F-12 西ドイツを出てオーストリアそしてユーゴスラビア
1987年3月C日 ホントに来てくれるんだろうか、とハラハラしながらコブレンツの駅で待っていたオレを、笑顔で迎えてくれたのはトーマスという若者だった。ドイツ人にしては珍しいほど背が低く細い男で、シリアでこのベンツを売るためにわざわざこの旅を計... -
F)パリ、ヨーロッパ横断、地中海
F-11 ミットファーゲレーゲンハイトの相乗り斡旋サービスとは
1987年3月B日 ベルギーやオランダのような曇り空はないが、ここデユッセルドルフでも最低気温はマイナス2度、3度を上下するばかり。風は冷たい。 ここでオレはヒッチハイクを諦めることにした。というのも、アテネまでまだ千数百キロもあり、国境を... -
F)パリ、ヨーロッパ横断、地中海
F-10 西ドイツ・デュッセルドルフでパトリックの家に電話
1987年3月A日 デユッセルドルフはヨーロッパの町としては町並みが新しい。おそらく第二次大戦中は連合国の砲撃の雨を浴びて、古い建物はすべて灰になってしまったのであろう。オランダのロッテルダムも激しい戦場となったおかげで町並みが新しいが、デユ... -
F)パリ、ヨーロッパ横断、地中海
F-09 西ドイツ・アウトバーンを快走
1987年2月F日 ボルボのドライバーが言う。 「だけど、あんた、ちょっと早く来すぎたんじゃないかなあ?」「あ、そうですか・・・?」「今はまだ寒すぎて、周りの景色も色褪せてるだろ。あと2ヶ月遅く来れば、もっとあんたの目もエンジョイできたんだろ... -
F)パリ、ヨーロッパ横断、地中海
F-08 オランダから西ドイツへ国境越え
1987年2月F日 このパーキング周辺の気温はおそらくマイナス10度以下だろう。かなり底の厚いテニスシューズを通しても地面の冷たさが伝わってくる。この風車の国オランダには山がほとんどないためか、遮るものがなく風はめっぽう強い。だんだんと足の裏... -
F)パリ、ヨーロッパ横断、地中海
F-07 いざ初ヒッチハイク-アムステルダム出発‐目指すはイスラエル
1987年2月F日 ホステルの受付の女の子に教えてもらったヒッチハイクの最適場所まで路面電車で行く。 ヨーロッパの多くの町のバス、路面電車、地下鉄といった公共交通機関の駅ではふつう切符の検札はされない。そしてそれは車内でもされない。 ごくた...
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