1987年3月E日

首都ベオグラードの市内をかすめるようにフリーウェイを走る。が、フリーウェイから見たベオグラードは、これがホントにユーゴスラビアという東欧の大国の首都なのか、と疑わざるをえないほど寂れた印象を与える町だ。ベンツはあっと言う間にその傍らを走り抜けた。
ユーゴスラビアからだと本当ならブルガリア経由で行く方がイスタンブールへは近道なのだが、西ドイツパスポート保持者、日本パスポート保持者共にビザを取る必要があるとかで、オレたちはブルガリアを避け南側に遠回りしてギリシャ経由で行く旅程を立てていた。
だがトルコ人の青年はブルガリアの首都ソフィアに行く用事があるとかで、少し遠回りだが、オレたちもできるだけ彼をブルガリアの国境近くまで運んでいくことにした。
地図もなく、いまどこをこの車が走っているのかまったくわからないもののカーブが多い山岳地域を走り続け、川の侵食によって作られた豪快な大峡谷を抜けたところの小さな村で、トルコ人青年は車を降りた。曇り空に粉雪が舞う中、彼はここからバスでソフィアまで行くという。
ブルガリアの国境に近い、この名もない小さなユーゴスラビアの村は、西ヨーロッパの町並みを見慣れた目にはあまりにも貧相だ。時間がここだけ一挙に40年ほど逆流したかとの印象すら覚える。一瞬オレはいまタイムマシンに乗って中世にいるのかと錯覚が起きたが、右手で頬を殴っていま見ている景色が現実であることが何とかわかった。
夕暮れ近い時間帯で街灯も少なく薄暗いなか、人々は黒っぽい素朴ないつ洗濯したのか見当がつかないみすぼらしい服装に身を包んで、雪が横殴る通りをみんな背を丸めてトボトボと歩いている。その横をロバが老人に鞭打たれて、荷車をゴトゴトと引っ張っていく。
まばらにゆっくり走っている自家用車はボロボロ外観の知らない(おそらく東欧製の)車種ばかり。キズや凹みのない車はない。小さな家々は割れた窓ガラスを紙とテープで補修したきり。破損したまま何の補修もせず何年も放置したままのようだ。
トルコの青年がトランクから荷物を全部取りだしたところで、ちょうどバスがやってきた。地元の人が彼に、それがソフィア行きだよ、と教えた。ここからだとソフィアまで100キロぐらいか、見るからにオンボロのこのバスでも、約2、3時間の乗車だろう。
この最も英語が達者だったトルコ人青年を乗せたバスもぼろぼろの外観。おそらく40年くらいの年代物か。やれやれどっこいしょという感じで、その重々しい体を前に進めた。そしてオレたちはバスの方向と反対側へと引き返した。
「トーマス、西ドイツにはトルコ人が多いって聞いたけど。」
「そうだな、ミュンヘンやベルリンあたりでは相当多いらしいし・・。」
「だけど、今、西ドイツ政府は彼らを帰国させるような政策をやり初めているって聞いたけど・・・。」
「ああ、これだけ失業率が高いと、一時的な人手不足の穴埋めに入国した人たちというのは、やっぱり人手が要らなくなった時には真っ先にお引き取り願います、というのが政府の考えなんだろう。勝手なもんだぜ。まったく。」
「トルコ人の人たちは、それをどう思っているんだろう?」
「さあ、別に強制的にということでもないし、あまり表だった反論は聞こえてこないけど・・・。でも彼らにしてみれば、何を今さら、という気持ちはあると思うよ。」
「そうだろうな。」
「さっきバスに乗った彼なんかは、いずれトルコに帰って自分の生まれた国のために働きたいって言ってたよ。だけど、西ドイツ人のガールフレンドと結婚でもしたりすると、西ドイツに残ろうとする気持ちはどうしても強くならざるを得ないだろう。
トルコ人はオレの知る限りでは、みんないい人が多くて、オレ個人としては彼らを受け入れることに反対はしない。だけど、今よりもさらに失業率が高くなると、先住の西ドイツ人は新参者を排除しようという気持ちにどうしてもならざるを得ないんじゃないかな。」
「日本にも最近アジア各国から、高賃金を求めて入国してくる人たちが多いんだけど、西ドイツの場合はもっと深刻な感じだね。」
「日本のことはよくわからないけど、時間が解決してくれそうな気がする。要するに西ドイツ人とトルコ人が、もっとお互いをよく知り合えばいいことなんだと思うよ。」
「まったくだね。」
一見フーテン風のこのトーマスは、なかなかどうしてものをよく考える男だ。
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