1987年2月F日

ボルボのドライバーが言う。
「だけど、あんた、ちょっと早く来すぎたんじゃないかなあ?」
「あ、そうですか・・・?」
「今はまだ寒すぎて、周りの景色も色褪せてるだろ。あと2ヶ月遅く来れば、もっとあんたの目もエンジョイできたんだろうに。それにこの季節のヒッチハイクはたいへんだろ?」
「いや、まったく。たいへんですね。ぼくはこれからイスラエルまで行くんですけど、この先が思いやられますよ。」
「イスラエル!?ヒッチハイクでかい?」
「ええ、一応そのつもりでアムステルダムを出たんですけど・・・。飛行機も列車もオレには高すぎて・・・。」
「だけど、ヒッチハイクなんかで行くなら、いったい何日かかるかわかったもんじゃないよ。宿泊費がかさむだけじゃないのかな。」
「うぅん・・・、そうですね。」
「西ドイツでは”ミットファーゲレーゲンハイト”という長距離相乗り斡旋会社があるけど、それ知ってるかい?」
「いいえ。なんですか、それは?」
「もし誰かが自分の車でどこか遠くの町まで行くことになるとすると、そのドライバーが同乗者を募って、ガソリン代をその同乗者たちと折半しようというシステムが西ドイツでは人気があるんだ。そのミットファーゲレーゲンハイトという斡旋会社がドライバーに代わって同乗者を募っている。そこへ行けば、イスラエルまで車で行こうとしているやつが見つかるかもしれない。もし同乗者が4人もいれば、大幅に交通費を削ることができるはずだよ。」
「へぇー、いろんなものがあるもんですねえ。それはデユッセルドルフにもあるんですか?」
「よく知らないけど、西ドイツの主な都市には必ず事務所があるはずだ。着いたら地元の人間に聞いてみるといいよ。」
いろんなことが商売として成り立つものだ。一口に言って、その斡旋会社はヒッチハイクを組織化させるのが仕事なのだろうが、まさにこれなどヒッチハイクが市民生活に完全に根差している西ドイツ、ヨーロッパならではの商売といえる。
時速160キロで走っていれば、日本ではまず追い越されることはないが、ここアウトバーンではちょっと勝手が違う。3車線の一番内側の追い越し車線をもし150-160キロぐらいで「のろのろと」走っていようものなら、たちまち後ろからパッシングライトが飛んでくる。道を譲ると「早くしろ、このバカヤロー!」とでもいわんばかりにポルシェやベンツが、爆音を鳴らしながらスッ飛んで行く。やつらが視界から消えるのに、ものの一分もかからない。まさにここはヨーロッパのカミカゼの楽園なのだ。
車のスピード、そしてそのスピードを支えている車の性能はもちろんだが、それを走らせている道路そのものがよくできている。カーブの大きさ、勾配の小ささ、道路表面の頑丈さと滑らかさ、といった道路建設の規格そのものがきわめて高度であるがゆえ、ドライバーは安心していかんなくその車の性能をフルに発揮させることが可能となっている。戦争を想定して戦車を通すことを念頭に置いて設計されたものなのかもしれない。
バゥゥゥゥーという大きな音を残して、ポルシェの900何番と、ランボルギーニの何トカとかいう2台の車が、テールトゥノーズでお互いからかい合うように、オレたちのボルボの横をかすめていった。
「やつらにつける薬なんてなさそうですね。」
「事故が一番いい薬なんだけど、通常その薬を使うと死んでしまうから始末におえないよ、このアウトバーンってやつは・・・。」
まったくだ。時速200キロで走行中の事故ともなれば、人の命など一瞬のうちに無と化す。やつらは反省する余裕を一秒も持つことなく、あの世へと旅だって行くことになる。大好きなスピードのおかげで命を失っても、彼らにはそれが本望なのかもしれないが・・・・。
ボルボにさよならをしたパーキングで待つことなんと20秒で次のVWゴルフにありついた。このドライバーはボンでコックをしているという小柄な青年だ。英語に少し難がある男で、やれやれ、これであまりしゃべらずにすむ、とオレをホッとさせた。
ヒッチをしていてもっとも苦になるのは、路上でボー然とあてどもなく右手の親指を立て続けることと思われがちだが、実際の問題はもうひとつある。乗せてくれたドライバーにできるだけ良い印象を与えようと、ひたすら好ましい話題を見つけて、笑顔で明るく楽しい会話を作り上げていく努力がそれである。
図々しくも人の車にタダ乗りさせてもらって、それを、はいお願いします、だけで狭い車内に平然と石のように身を置くということなど、やはりできるものではない。黙っていれば向こうもこっちも気をつかうし、第一に不信感をかって道路端に放り出されたりしたら、その先は次のヒッチポイントまで歩いていくしかなくなってしまう。オレはアムステルダムから4人とほぼしゃべり詰めにしゃべって、もう神経がヘトヘトになっていた。
英語に難のあるこのVWゴルフのドライバー相手に、しゃべることを否定することを許されたオレはこれ幸いと口を閉じて、ただ彼のカーステレオから流れているバッハの宗教曲に耳を傾けていた。
VWゴルフに送ってもらって(この人はホントに親切な人だった)、デユッセルドルフの中央駅に着いたのが夕方の5時。アムステルダムから約5時間のヒッチハイクの旅は終わった。
アムステルダムからデユッセルドルフまで5時間とは、初めてのヒッチとしてはバツグンだ、とはホステルで会った自称「ヒッチの天才」アイルランド人の談だった。
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