1987年2月B日

さあ、パリで仕事を見つけるぞ!とオレはさっそく行動を開始した。
だが、なかなかうまくはいかないものだ。開始してわずか3時間後でオレのその計画は鮮やかな挫折に見舞われることになる。というのも、それはある一人の若い日本人の青年に会ってしまったからだった。
パリの日本人会に電話して、パリで働きたいのですが、と相談をもちかけたところ、ケンもホロロの扱いを受けて、頭がムカムカきていたオレはパリど真ん中ノートルダム寺院の真ん前の小さな広場で、さてこれからいったいどないしまんねん、と半ば途方に暮れながら、芝生に腰を下ろした。
目の前を日本人観光客の団体が2月末まだ寒いこの時期にも大勢通り過ぎていく。パリへ、ということで思いっきり気合いを入れてきたのか、みんなバリバリにめかし込んだ様子。上から下までの服の値段の合計が20万円以下の人など一人もいないかのようだ。
20豪ドルのグレーのジーンズに30シンガポールドルで買ったスニーカー、そして母親に日本からシンガポールへと送ってもらった穴の開いたダウンジャケット姿のオレとはまるで貴族と掃除夫ぐらいの差がある。
あーあ、カネのあるやつはええなあ、とひとりボヤいていると、ノートルダム寺院の方から、オレと同じくらいみすぼらしい身なりの若い日本人らしき青年がトボトボと歩いてきた。
ヒョロヒョロっと痩せて背が高く髪の長いこの青年は、
「ここ空いてますか?」
と、オレに日本語で尋ねてオレの真横の芝生に座った。
「御旅行ですか?」
「え?ええ・・・。」
「そうですか・・・。」
彼はあまり元気がない様子だが、一応親しげな表情でオレに話しかけてきた。
何か不自然なこの男の登場だったが、オレはここ2、3日ずっと一人ぼっちで話し相手に飢えていた。オレは得体の知れないこの日本人の男と話がしたく思えた。
「あなたは・・・・?」
「ボクはパリに住んでいます・・・。」
「へぇ、学生さんですか?」
「はぁ?ああ、まあそんなもんですかね・・。」
「・・・・・・?」
「まあ、毎日いろんなこと学んでますから、学生ですかね・・・?」
青年は抑揚のない声でしゃべる。
「パリはお好きですか?」
「ええ、素晴らしいところですね・・・。ぼくも住んでみたいですよ。」
「そうでしょうね・・。」
「もう、どのくらいここに・・・?」
「そうですね、もう・・・、1年半ぐらいになりますかね。いつのまにか・・・。」
「1年半・・・。何か仕事はされてるんですか?」
オレは何か仕事の手掛かりでも、と探りを入れてみた。
「仕事?ええ、やってますよ・・・。」
「で、どんな・・・?」
オレはさらに突っ込む。
「まあ、いろいろやりましたよ。日本レストランの皿洗いから始まって、日本人相手のガイド、モンマルトルでニセの絵書き、なんかね・・・・。」
「フランス語はおできになるんですか?」
「はぁ、まぁ、片言ですけど、『ボンジュール、ムッシュ』とか、『サヴァ』に毛が生えた程度ですけどね・・・。」
「ボクはオーストラリアに長くいたため、英語はできるんですけど、フランス語はダメなんです。それでこの国で仕事なんてできるでしょうか。」
オレはストレートに聞いた。
「そうですねぇ・・・。まぁ、贅沢さえ言わなけりゃ・・・。」
どうもパッとした返事が来ない。オレはさらにもう少し突っ込んだ。
「いや、実はオレ、ヨーロッパへやってきたものの、カネがあんまりなくて・・・・。何か仕事でもあれば、と思っているんですけど・・・。」
オレはそう言って、青年の顔を覗き込んだ。青年はチラッとオレの顔を見た。そして、うす笑いを浮かべた。
「仕事ねえ・・。あるにはあるけど・・・、ウフフフ・・・。」
ケッタイな笑い方をするやつだ。そしてその笑いを止めたやつは、おもむろに小さな紙の包みをポケットから取り出した。
「仕事って、稼ぎが多いほどいいんでしょう?」
「・・ええ、それは、そうですが・・・・?」
「じゃあ、こんなもん売るってのはどうです・・・・?」
彼は小さな包みを開けた。
「これ何か御存じですか?」
と、彼がオレに差し出した紙の上に乗っていたのはうす緑色の乾いた小さな草の切れはし。
マリワナだ!東南アジアでよく見かけたあいつ。
「えっ!?まぁ・・・・。」
「フフフ、わかりますか。さすがですね。フフフ・・・。」
「いや・・・。」
オレは真っ昼間、日本人観光客がバタバタと目の前を通り過ぎていくこの場で、こんな「フツーでないもの」を突然見せられて、さすがにドッキリ。思わず周りを見渡した。
「これ売れば、手っ取り早いですよ・・・。」
「・・・・・・。」
「いかがですか・・・?」
「いや、でも・・・。」
オレは、結構です、といって、彼にその包みをさっさとしまうようにと頼んだ。幸い誰もオレたちの様子に気がついていない。
「はぁ、残念ですね。こんなに儲かるものも少ないんだけど・・・。」
青年は終始ほとんど表情を変えない。
このあと約1分の沈黙。彼は吸っていたジタンの煙草を隣りの吸殻入れにポイと投げ捨てて、
「じゃあ、お元気で・・・。」
と、右手を面倒臭そうに上げて去っていった。そして残されたオレに、何かイヤーな気分が残った。
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