1987年2月C日

得体の知れない青年だった。ヨーロッパには日本から大志を抱いてやってきたものの、何らかの理由で挫折し、フーライボーみたいなのになってしまったような若者がかなりの数いるという話をどこかで聞いたことがあった。おそらく彼もそんな若者の一人なんだろう。しかしあげくの果てに、麻薬の売人にまでなるとは・・・。
実際、日本を出れば、日本人にとって最も生きていきやすいのは、小さな町や村よりか都市それも巨大な都市の方である。
世界中の大都市に日本人、日本企業の事務所、日本レストランが見当たらないところはない。そして、大都市にはどこも星の数ほどのバーやレストラン、つまりどんな人間でも雇ってくれる飲食関係の店がある。ニューヨークしかりシドニーしかりここパリしかりである。そして、どこかの飲食店にでも身を寄せていくことができれば、まずその町では絶対に食いっぱぐれはない。
だが、目的を失ってただ生きていくためだけのみに仕方なしに仕事をしているのであれば、それはもう前向きな海外生活ではなくなってしまう。そんなのは極めて消極的、非生産的、時間の無駄でしかない。そしてそんな生活をしているやつらは非常に極端な言い方をさせてもらえれば、その都市のゴミあるいは寄生虫でしかないともいえる。
つまり彼らは、身寄りのまったくないところで、悪戦苦闘しながら生きていく過程で、決してメディアや他人の口から学べないものを学びとるという、海外において生活することからのみできる「教育」を受けようという姿勢を放棄してしまった。
あーあ、これだから大都市はいやだ。こんなやつらとは絶対に一線を画していたい。自分の立場もそれほどほめられたものではないことは、誰より自分もよく承知している。だが、これまで2年近くできるだけ人の力を借りず、弧軍奮闘してきたという自覚を持つ自分には、そういう彼らを拒絶するだけのプライドが備わってきたようだ。
オレはあの青年の後ろ姿を目で追いながら、決めた。パリのような大都市はいまのオレには向かない。やはり当初の予定通り、明後日に船食(船に食糧、免税品、おみやげなどを売る商売。シップチャンドラー, Ship Chandler)の会社があるベルギーの港町アントワープへと発つべきだ。
こんなにいとも簡単に考えを変えたオレは優柔不断な男なのか、それともその反対なのか。
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