1987年2月D日

憂欝だ。こんな気分は冬のヨーロッパにはあまりにも似合い過ぎて困る。パリを出てからベルギーのアントワープ、オランダのロッテルダムそしてここアムステルダムと、ずっと雨または雪または曇りが続いている。
船食会社2社でのジョブハンティングはものの見事に失敗した。アントワープの〇〇商会は日系人の社長の会社で社長を4日間待ったが結局ダメ。ロッテルダムの××屋は日本の大手の船食会社の支店だが、お茶を一杯頂いて丁重に断られた。
カラーサで会った船の人々によると、これら2社ではいつも人手不足で、英語あるいはヨーロッパの言語をひとつでも話せる日本人ならいつでも採用されるという話であったが、それもいまは昔の話ようだ。
ダイナミックに動く世界経済の構造的な変化に対し個人は何の対処もできない。2つの会社が異口同音に上げた「調子が最近、下降気味なもので・・・。」という不採用の理由には、わが祖国日本の経済のここ1、2年のあきれるばかりの絶望的な強さが表われていた。
カラーサでは円高豪ドル安のおかげで、わがPOAの景気はきわめて良くなった。ある大手海運会社などはオーストラリア航路に就いているすべての船に、日本では極力何も買わずほぼすべてのまかないはオーストラリアで購買するように、との通達を出したほどであった。
オレは円高が米ドルや豪ドルに対してと同じように欧州通貨にも及んでいるもの、とてっきりタカをくくっていたわけだったが、どっこいそれはとんでもない大間違いであった。ベルギーフラン、オランダギルダーともに、円に対してはほとんど変化がなかったということであった。
そしてさらにオレにアゲインストになったこととして、円高による日本人船員の労働コストの高騰という現象があった。カラーサにやってきた日本船籍の鉱石船のいくつかもそうであったが、最近の日本船は混乗(日本人船員と外国船員とが混ざって乗っていること)が増えている。そして、韓国人やフィリピン人が司厨員として勤務し始めたおかげで、彼らが日本の船食業者よりも彼らの同胞の業者あるいは同胞の営業マンに対し注文を出すようになったということがあげられた。つまり日本人の御用聞きは、ヨーロッパではもう不要ということになってきたのである。
ホント、とんだところで円高に強烈なパンチを日本人のオレが食らわされた格好になってしまった。円高で一般の日本人旅行者は旅にいっそうの潤いが加わることになったのだろうが、外国で職をえようとするオレにとっては、円高は思わぬ疫病神として襲いかかったのだった。
冬のアムステルダムは殺風景だ。この町出身だったカラーサのマネージャー、アーノルドはアムステルダムは非常に美しい町だと言っていたが、どうもそれは春から秋にかけての話のようだ。ここへ来て毎日毎日曇り空で、最低気温がマイナス5度では、この三百年の町並みをうっとりと眺めようという心の余裕など生まれようもない。
そして現在の全財産はすでに450ドルと少しにまで減ってしまった。ヨーロッパってなんて物価の高いところなんだろう。パリの物価高以来、サイフのひもは極力きつく閉ざしてきたつもりであったが、あれよあれよという間にトラベラーズチェックがホルダーから抜かれていく。
ヨリコさんに預けた小切手はマニラへ送られたということがわかってはいるが、今のフトコロ具合ではフィリピンまで電話をかけるカネなどとても捻出できない。ゆえにここへきて当然のごとく、オレの目の前にはカネッ、カネッという音とともに黄信号が点滅し始めた。
スペイン、ポルトガルを除けば、西ヨーロッパでは一日最低25ドルは出費されていく。つまり、普通にやっていれば、オレはあとたった2週間ほどしかヨーロッパで生きていけないという現実が迫ってきた。
さて、いったいどうしたものか。モグリでオランダか西ドイツで働くか。それともスペインあたりへ行って出費を押さえ、小切手が送られてくるのを待つか。それともいっそハンガリーまで行って、百ドルで買えるというシベリア鉄道のチケットを買って家路につくか。しかし、どれもあまり魅力的ではない。
あのアントワープの〇〇商会は絶対大丈夫だと何の疑いも持たず、まったくタカをくくりまくっていたため、やはりあそこでの失敗はまさに痛恨の一矢となってオレに突き刺さった。今から思えば、オレの考えもメチャクチャ甘すぎるほど甘かったのも事実だが・・・・。
ユースホステルのキッチンで、スーパーマーケットから買ってきたパンとツナ缶とトマトとソーセージで、サンドイッチを作って食べる。カネのない旅行者が真っ先に切り詰めるべき出費はやはりメシ代である。この自家製サンドイッチをヨーロッパへ来てから毎日2回は食っている。
今日、このアムステルダムで最高級と言われるホテルRitzに入っていく日本の新婚カップルを見かけたが、やつらは今ごろオランダ料理にビタンビタンとデッカイ舌鼓を打っているころだろう。
「うわー、このチーズとってもおいしいわぁ!」
とか言いながら。
ああいう人たちのことは余り考えない方がいいのだが・・・・・。
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